「非武装中立」政策の根幹に流れる国際認識は、何よりもまず「他国からの
侵略はない」という思いこみである。「他国からの侵略はない」という認識は、
「他国は日本を侵略しない」という表現に置き換えてもよい。しかし、問題は
ここから始まる。
他国が「侵略するかしないか」は、「他国」すなわち当該国の意志にかかって
いることであり、当該国以外のたとえば日本が決めるべき代物ではない。
他国の 意志をみずからの「意思」にすり替えてしまうのは、主観主義以外の
何物でもない。地球は社会党を中心に回っているのではない(中略)
かつて山本満は社会党の「一九七五年度運動方針」が折りからの中ソ対立に目を
閉じていることを批判して、「見たいものだけを見、見たくないものは見ないと
いう「子供の気まま」と述べたが、まさにこの「子供の気まま」は同党が陥る
「主観主義」と同義である。
(原 彬久『戦後史の中の日本社会党』中公新書 p330〜331)
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「10年ひと昔」と言うが、こんな現実と妄想の区別もつかない政党が10年前まで日本の野党第1党、
つまり議会政治の常識からすれば"次の政権を担う党"に位置していたのだから、
滑稽といえば滑稽だが、恐ろしいといえば恐ろしい。
今の野党第1党・民主党のていたらくを情けないと思う人が多いだろうが、
しかしかつての社会党と重ね合わせれば、まだましに思えてくる。
私は20代の頃は一度も選挙の投票に行った事がなかったので、
今の若者の政治無関心や投票棄権を批判できる立場にないのだが、
しかしこんな頓珍漢な政党が万年野党第1党にあぐらをかいている政治状況では、
馬鹿馬鹿しくてわざわざ投票に行く気が起きなかったのも事実である。
しかも民主党と違って社会党は、政権を取る気など全くなく、
議会政治すら実は否定して社会主義革命の妄想に耽っていたのだから、驚くというか、呆れる。
社会党がマルクス・レーニン主義的綱領を漸く降ろしたのは、1980年代も末になってからである。
少し前に、何かの番組で鳥越俊太郎が民主党を批判して、「昔の社会党の方が役に立った」
と言ったのを記憶しているが、この男は頭がおかしいに違いない(今更言うまでもないか)。
1950年代か、百歩譲って60年代までぐらいなら社会党もそれなりに存在意義はあっかもしれない。
しかし70年代以降の20年間は全く愚かしくも有害なピエロだったというほかはない。
日本の政治の阻害にとって、政権党である自民党に以上に罪深いのは浮世離れした万年野党第1党・
社会党だったと言っても過言ではない。
北朝鮮と社会党の関わりについても付言しよう。
朝鮮戦争当時、社会党の公式見解は「北の侵略」説だった。
ところが、1974年、社会党訪朝団が初めて金日成主席との会談を許されるや、
何の説明もなく突如転換し、「アメリ帝国主義の侵略」説に変じた。
実にいい加減である。
金日成主席との会食の席上、社会党代表団のある者(米田東吾衆議院議員)は、
まるで部下さながらに箸を置いてすっと立ち上がって、金日成の「ご下問」に答えた。
これが「他国の『偉大な指導者』に畏服する(日本の)公党代表の姿」(『戦後史のなかの日本社会党』p268)である。
社会党〜社民党の本質を象徴している。