去る17日は阪神大震災から8周年ということで、新聞、テレビで特集が組まれていた。
またネット上でも日記や掲示板等で数多くの回想が見られた。
その中でいくつか気になる記述を目にした。
それは当時の首相・村山富市への非難というか、罵倒である。
私は少し評価が違うのだ。
たしかに当時、日本国民の生命と安全を守るべき最高責任者の地位にあった者
として、村山の無能と無責任への誹りは免れない。
しかし、村山個人を非難して事が足りるわけではない。
そもそも、村山を首相に選んでいたのは国民なのである。
もちろん直接、社会党政権を選んだわけではないが、
93年総選挙で大敗を喫したものの社会党は依然として自民党に次ぐ
第2党だったし、また、その無能な村山を首相に担いでいたのは、
第1党の自民党である。
自社さ連立当時、野合だの民意を反映していないのと批判があったが、
第1党と第2党という、大多数国民が支持した政党が大連立を組んでいたのだから、
これ以上に民意に添った政権の組み合わせはあるまい。
(ちなみに、93年総選挙で自民党が「敗北」して政権を失った、と思っている人が
いるかもしれないが、当時、自民党は、小沢一派らの離党で選挙前に既に
過半数割れしていた。選挙で自民党は、解散前230議席から228議席と、
ほぼ現状維持だったのである)
また、社会党という狭い枠の中で見れば、村山自身はよくやった方だと思う。
逆に言えば、村山ですらまともに思えるほど、社会党そのものがいかに無能で無責任
で、腐り切っていたかという事である.その責めを一切、村山に負わせるのは不公平で
あろう.
こんな話がある。
村山政権に先立つ、社会党も参加していた細川・非自民政権時代、
北朝鮮の「核攻撃」危機があった(1993〜94)。
その対応に苦慮した社会党出身の伊藤茂運輸相は、このように呟いたという。
「一体、この国はなぜ、こんなことになっているんだ」
「やっぱり、強力な万年野党の社会党がいて、憲法論議で何もできなかったからか」
(船橋洋一『同盟漂流』)
つまり、日本の至近距離で有事が発生した場合、日本にはそれに対応する
「法的な手当」が一切ないことを知って茫然とした、というのである。
社会党が政権の一端を担い、責任者の地位についてみると、
それまで「非武装中立」だの「有事法制反対」だのと政権を執らない事を前提に
脳天気な絵空事を並べていたツケが重くのしかかってきたのである。
だから村山は、政権に就くやいなや、それまでの社会党の基本政策だった
「日米安保反対」「自衛隊否定」「非武装中立」等を大転換した.
突如何の説明もなく大転換した事で村山は批判されたが、しかし政権担当の責任者
として現実を直視したら、ごく当り前の結論であろう。
むしろそれまでの社会党がいかにデタラメだったか、
そのデタラメ社会党を万年野党第1党に国民は選んできたか、
そちらの方が大問題である.
村山が社会党委員長であり、また村山社会党首班の政権だった事は
事実だが、しかし村山個人をもって社会党的人物の右代表とは言えない.
阪神大震災の時、村山は別に、確固たる左翼的イデオロギーの信念に基いて
自衛隊出動を拒否したわけではない。
これがもし指導力のない自民党首相、例えば宮澤や海部だったとしても、
同じようにしていただろう事が想像される.
つまり、実は、単にグズでオタオタしていただけである
そもそも村山はただの組合運動上がりの社労族・国対族の政治家であって、
イデオロギーとか何とかを理解している男ではない。
イデオロギーという事では、むしろそれまでに散々に妄想を振りまいて
社会党を絵空事の空中楼閣で塗り固めて来た歴代の指導者たち、
成田や飛鳥田、石橋、そして土井たか子らの方が悪質である.
なお、細川〜村山政権時代、土井たか子は衆議院議長に棚上げされていたので、
政権に参加していない.
従って現実に直面した経験がなく、だから、「社会党〜社民党が衰退したのは
日米安保廃棄や非武装中立の旗を降ろしたせいだ」と滑稽な勘違いをして、
相変わらずいまだに脳内お花畑の電波を飛ばしているわけである.
政権を降り、民主党との分裂を経て土井が舞い戻って来てからの社民党では村山は
政権時代の政策転換を自己批判させられる始末だった.
当時、小さくなったとはいえ社民党は政権担当の経験によって
少しはましな党になるかと思ったら、逆に社会党の亡霊・土井が帰って来て
ますます妄想の度を強めた.
(余談だが、民主党結成の時に鳩山が、村山や武村正義を除け者にした
「排除の論理」は大失敗だったと思う.
あの時に社民党解党させてしまえば、土井には戻るべき古巣がなくなって
孤立したし、従って辻元だの何だの、おかしな連中が入りこんで来る余地も
なかったのである)
村山は震災の被災者を見殺しにした首相というばかりでなく、社会党を滅亡に導いた男、
あまつさえ、自民党政権復活に手を貸した張本人として、歴史に汚名を残す事になった.
しかしこれは村山一人の問題ではない。
55年体制という、究極の無責任体制そのものを問うべきだろうし、
それに代る政治のシステムを持ち得てない、今日の問題でもあるだろう