ちっとも知らなかったが、朝日新聞が2ちゃんねらーのネタと思われる投稿を
「声」欄に掲載してしまったらしい。
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1040636340/l50
http://www30.tok2.com/home/voldo/joyful/img/188.jpg
いずれ誰かがやるだろうとは思っていたが...朝日もついにやきが回ったか。
次は、1列目の縦読み(新聞だから横読みか)のネタ投稿を期待したい。
個人的に吹き出したのは、昨日の朝刊社会面、
池宮彰一郎氏の「遁げろ家康」を絶版・回収 朝日新聞社
アサヒは歴史の捏造だけでは物足りず、小説まで捏造するようだ。
保守新党が14人で結党 3党連立の一角を維持
自公保政権は自公保新政権、つまり「自己保身」政権となった。
「名は態をあらわす」というわけである。
さて、先日の話、「朝日はなぜ反日なのか」の続き。
既述の通り、ジャーナリズムの本質は、実態の既にない負け組の「ルサンチマンの精神構造」
なのだが、ニーチェが執拗に分析したように、このルサンチマンとは、裏返しの、歪んだ権力志向である。
つまり反権力と言うものもひとつの権力意志であり、これが大衆の屈折した権力志向と結びつく。
ジャーナリズムそのものは「実態のないルサンチマン」でも、大衆の意識構造を代弁し擬態化する事の
根拠は一応なりたっている。
だから朝日記者は高給取りのくせに、「この不況でわれわれ庶民の家計は苦しいのに政治家は・・・」
などという、ふざけた言いまわしも通用する(と思っている)のである。
回り道したが、以上ジャーナリズムの本質を踏まえた上で
本題の朝日反日論に戻す。
これは言うまでもなく、戦後左翼の影響力である。
戦後、1970年代末ぐらいまでは、左翼にあらずんば知識人にあらずという
風潮が支配的だったと言ってよい。
従って、アメリカ帝国主義は悪、そのアメ帝の従属支配下の日本も
当然悪、という事である。
これは現実には、既存の社会主義国であるソ連礼賛に結びつく。
勿論新左翼なんかは反ソ反スタだが、進歩派知識人はどうしても
アメ帝・.独占資本反対の立場上、ソ連・中国は平和勢力、善玉でなければ
ならないのである。
だから朝日も文化大革命やボルボト派の実態を無視して激賞し続けた。
余談だが、今の社民党、当時の社会党は、
レーニン主義を標榜する向坂逸郎率いる社会主義協会に支配され
日共がソ連と断絶していた事もあって、ソ連べったりだった。
こんな党がつい10年前まで野党第1党だったのだから驚く。
朝日なども、80年代なかごろになってもソ連の提灯記事を書いていたものだ。
たしか下村満子記者だったかの、結構づくめのソ連ルポが連載されてたのを私も記憶している。
だが、そこで80年代末からの社会主義崩壊である。ここから朝日の「反日転落」が始まった。
それまでの反日・反米には、左翼シンパ、親ソという思想的前提が一応
存在していた。
だがソ連崩壊で、誰の目にもその前提が崩れた時、
その辻褄あわせに選んだ道が「反日」貫徹路線である。
従来は左翼シンパ、親ソゆえの反日だったのだが、
その後は、ただの「反日ゆえの反日」に転落したのである。
つまり、ここでもまた「実態のない」精神構造に支配されているのである。
北一辺倒から親韓国に転換、突如として「従軍慰安婦」問題を
デッチ上げたのも80年末〜90年初め。
以後は承知の、なりふり構わぬ「反日」まっしぐら、である。
しかし、その姿勢も、いよいよ行き詰まってきたようだ。
繰返すようにジャーナリズムは「ルサンチマンの精神構造」に依拠して
大衆の不満を煽動する事で成り立っている。
それは実は、朝日の嫌いなナショナリズムでも成り立っているのだ。
朝日の反日・反米が命脈を保ったのも、六十年安保に見られる「反米ナショナリズム」
が根底にあったからだ。朝日もナショナリズムをうまく利用して来たのである。
ところが今や、北朝鮮問題によって、もはや辻褄の合わせようがなく朝日の「実態なき」
反日・反権力主義は露呈してしまった。
隠れナショナリズムも頼みにならず、孤立した朝日はついに「庶民を装ったエリート」
の本性を剥き出しに、世論が悪い、大衆がバカだと開き直っている昨今である。
朝日は再び世論を味方につけこの「権力闘争」を生き残れるのか、
今が正念場の分岐路だろう。