にゃんことごはん
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 命日が過ぎると誕生日が近くなる 如月の皮肉にまだ慣れない

一昨年、あと数日でお誕生日、という日曜日の夜、亡くなったショータロー。

大雪の降った週末の白い景色、ソチオリンピックの日々を思い出す2月が今年もやってきました。今年は暖かくて雪も少ないので、ちょっと安堵しています。

今日、仕事で「とある業務の一連の流れをラブストーリーに見立て、各局面のキャッチコピーを考える」という課題を仰せつかり、久しぶりに脳を恋愛モードにしたのですが、どう逆立ちしても、ショーちゃんのことしか浮かばず。
それなりに恋愛もしてきたはずなのに(少なくとも、一子を設ける程度には真剣に)、思い出して「ほわわ〜」となったり「キュ〜」となったりするのは、ショーちゃんのことばかり。
それって、どうよ、ひととして終わっちゃいないかい?
まあ、理由はいくつか考えられるのですが、ここはひとつ、運命の猫と出会えたのは幸せなことだという結論でいいではないか、と、私は納得することにしました。

残念なのは、ショーが毛皮を着替えて戻ってくるのを待つ時間が、おそらく私には残されていないだろう、ということ。
幸せだなと思うのは、まだ私にはニャンと練々と茶々を見送る義務が残されている、ということ。

ショーと出会ったのは、雨の日。ニャンのキャットフードと猫砂を買いに行ったペットショップでのことでした。今となっては、どちらも通販で購入しているそれらを、当時は、ペットショップまで買いにいっていたのだというところに、時代を感じます。
リュウも小学校の低学年で、私も今より若く体力もあり、ノリと勢いに任せても、それをなんとかできたころのこと。

あの日に還りたい、とは思いませんが、あの日、ガラス越しにショータローと出会ったときの気持ちを、もう一度、経験できるなら、ちょっとだけ過去に戻ってもいいかしらん、なんて血迷ったことを、時々考える2月の日。


2016年02月19日(金)
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