Espressoを飲みながら

2004年07月21日(水) Communication

 時に、人と人との間のコミュニケーションは難しい。伝えたいことがあって、言葉を選んで、でも言葉を選ぶともう最初に思っていたようなコミュニケーションからは遠ざかってしまっていたりして。私達が翻訳したり通訳したりするのは、英語を日本語にしたり日本語を英語にしたりする時だけではないのだ。自分の内面では言語の一種として機能しているフィーリングを、フィーリングそれ自体として直接的に他者に伝えることはできないために日本語なり英語なり何かの言語、あるいは身振り、手振りなどに変換して伝えようとすること自体がすでに翻訳であったり通訳であったりする。

 そして、その翻訳作業はしばしば難航し、稀に上手く行く。本当に、稀に。

 何かが伝わるまで、しゃべり続けなければならない。何かが伝わるまで、歩き続けなければならない。全てを投げ出すのもいいが、投げ出した後には、なおもそこに何かが為されうる可能性のある”場”が残るであろう。そしてあなたはそこで再びなにかを感じ、見いだし、そこにいる誰かになんとかしてそれを伝えようとして・・・

 終わりのない翻訳作業、終わりのない通訳があなたの人生の中で続くのである。


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空遊 [MAIL]

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