Espressoを飲みながら

2001年09月22日(土) 日記といふもの

 気が付けばこの日記もようやくアクセスが1000を超えている。

嬉しい限り。

 最初は違和感もあったがだんだんと慣れてきた。
「日記とはそもそも人に見せるものではないのでは?」という
疑問も最近ではめっきり首をもたげなくなった。

 よくよく思い直してみると、最初に書いた日記は、小学校とかで
書かされた日記であった。書いている内容が先生の気に入らないと
呼び出されて怒られる。「なんでこんな考え方をするのだ?」とか
「どうしてこんなことばかりしてるのか?」とか。

 例えば空遊の家では休日に車で出掛けることがよくあった。
出掛け先でおいしいものを食べたりする。それを日記に書く。

 今日は、家族でドライブに行きました。伊賀上野に行きました。
おいしいすき焼きを食べました。

 先生に呼び出されて怒られる。「こんな贅沢をしていると人間駄目になる」と
言った論調である。そんなこと言ったってこっちにどうこう出来る話じゃない。
家族の習慣である。小学1年生がどうやって家族全体の休日のレジャーの
習慣を変えさせることができるのか?それにもし出掛けないとしたら休日に
何をしろと言うのだろう?勉強はその頃はどれも申し分なかったし、休日に
まですることでもなかった。みんなもそれぞれ家族や予定があるから日曜は
友達とドッジボールという訳にもいかない。先生はそういうことには答えず
単に僕のことを「ぜいたくな子供」として責め立てるのであった。

 念のために書いておくけれども、家は別に金持ちではない。中の中の中
くらいの家で、周りの家々とほとんど何も変わるところはなかった。

 先ず日記を書け、日々起こったことを書けと言われ、次に書いたことに
ついて呼び出され怒られる。次第に都合の悪いことは書かない、自分の個人的
な考え方などについては書かなくなり、できるだけ無難なことのみを書くように
なってしまった。

 子供の夏休みにありがちな夏休みのあさがお絵日記みたいなものが一番無難で
良いと思っていた。文句のつけようがないから。

 思想統制という言葉は当時は知らなかったが今思うとその言葉が一番ふさわしいように思う。
それは創造性と個性に対する暴力だった。

 阪神タイガースが優勝を目指しているのかリーグ第6位をノルマとしているのか
わからないように、民主主義国家の小学校なのかタリバンなのかわからないような
教育だった。

 あれからいくばくかの年月がたって、今の小学生達にもいろいろ厄介な問題は
あるだろうけど、僕が経験していたような問題は少なくなっているだろうと思う。
というか同世代においても僕の小学校のような例は比較的珍しかった。

 何故自分があのような災難に遭わなければならなかったのか、わからない。
ただ国や地方自治体と言った「公的」機関は往々にして嘘つきで、残酷で、
支配欲の亡者であるということを人生の早期において学んだのは、決して
マイナスのみでは無い気がする。

 例えば今回のテロ事件みたいな事があったときに、
「アメリカの正義って大統領が言ってるけど怪しいなあ?政治家が正義って
言い出したら警戒せなあかんで。ブッシュの資金源どこやろ?おやおや、
軍事産業やないか。余計怪しいなあ。戦争は長期化するだろうって、戦争が
長期化したら誰が得するんやろ?少なくとも渇きと砂漠の寒さ暑さに耐えなあかん米兵やないのはたしかやなあ、税金から金なくなっていろんなとこに
影響を受ける国民でないのもたしかやなあ」
ととりあえず考える習慣がつく。

 権力がいつも嘘をつくわけではないとしても、嘘をついていたとしたらと
言う前提で毎回考えること。必要とおもう。

 今はネット上の日記で書きたいことを書いている、上のように個人的な考え方を
書いても呼び出されて尋問されたりしない。大人になって人生ましになった
部分も少なからずあると思える。

 子供が自由に感じたこと、考えたことを表現できる世界でありますように。

 


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空遊 [MAIL]

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