Espressoを飲みながら

2001年09月16日(日) 「政治家」と「狂人」

 TVを見ると、相変わらずテロのニュースやコメント。
「イスラム教自体は本来平和を旨とする宗教であり、今回の様なテロは
 たとえ犯人がイスラム原理主義者であったとしても、それには政治が
 からんでいて純粋に宗教が原因ということはありえない。」
という専門家のコメントがあった。

 それはそうだろう。イスラエルや中東諸国に対するアメリカの外交政策
の問題抜きにはいかに原理主義者であろうと命懸けのテロなどしないはず。

 政治とは実にややこしいものだとあらためて思う。

 インドの神秘家OSHOは政治家とは劣等感の裏返しで自分を偉大に見せよう
とするために、いとも簡単に戦争すら起こす厄介で危険なものであると
言う。その原動力は劣等感に満ちたエゴである。

 OSHOの言う政治家とは、職業的な政治家にとどまらない。劣等感に満ちた
マインドを持っていて、何かを現実化させることで人々に自分が偉大である
ことを認めさせようとする者のことを彼は「政治家」と呼ぶ。

 同様に劣等感に満ちたマインドを持ってはいるが、何かを実現して人々に
自分が偉大であることを認めさせる代わりに、最初から自分が偉大だと信じ
てしまう人のことをOSHOは「狂人」と呼んでいる。

 OSHOによると政治家の方が狂人より危険らしい。例えばヒトラーがただの
狂人なだけで政治家にならなかったら世界にとってはずっとましだったはず
だろう。1人の狂人の費用と言えばせいぜい精神病院の病棟にベッドが1つ
と治療費があれば事足りるからだ。

 この意味での「政治家」と「狂人」はひとりひとりの人間のマインドの
中に住んでいる。ただ人によって片方の割合がもう片方の割合より大きか
ったり小さかったりする。

 今回のテロに対する報復の結果がどのようなものになるか、今はまだ
予測がつかない。ただはっきりしているのは人類の多くがこのマインドの
仕組みについて、各自の内に潜む「政治家」と「狂人」の仕組みについて
理解しない限り、争いも混乱も決して終わりはしないだろうということ。
それについては空遊は確信がある。
 


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空遊 [MAIL]

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