2001年08月06日(月) |
中原中也を読む夏の夜 |
じっとりと重たい湿気の多い夏の夜。
フィーリングもやはりそんな感じだ。
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で 中原中也の「山羊の歌」を読む。今のフィーリング をぴったりと詠んでくれている詩を見付けた。
夏
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ 今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り 睡るがやうな悲しさに、み空をとほく 血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき 雲浮び、眩しく光り 今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る 血を吐くやうなせつなさに。
嵐のやうな心の歴史は 終焉(をは)つてしまつたもののやうに そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに 燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。
私は残る、亡骸(なきがら)として―― 血を吐くやうなせつなさかなしさ。
−中原中也「山羊の歌」より−
空遊は中原中也が好きである。好きと言うより 大好きである。宮沢賢治より詩人としては何倍も 素晴らしいと感じる。賢治の詩情はどこまでも浮 世離れした、理想主義的なところがある。かたや 中也の詩は、自らの感情・感覚の繊細さの中に深 く深く入り込んでいく。感性として中也の方がリ アルに感じられるのだ。中也の中の脆さ、壊れや すさ、それをそのまま歌いきる潔さが心地よい。
とはいえ中原中也本人は宮沢賢治に心酔してい たというから矢張り宮沢賢治はさすがだと思う。
はっきり言って宮沢賢治は素晴らしくはあるが どこか手に届かないところにいる人のようで寂し いのだ。彼を題材にした映画を見たり本を読んだ りもしたが、なぜか空遊は賢治にある種の不自然 さを感じてしまう。
たとえて言うなら(変な例えだが)それは調度 なんの得にもならないのにわざわざ地球を守るた めに怪獣と命掛けで闘うウルトラマンのような不 自然さなのだ。
ひたすら真面目でまっすぐというのは何だかこ わい。
それに較べると中也の中には自分の中にもある ような弱さや憂鬱、壊れやすさが丁寧に描かれて いて空遊には親しみやすい。
以前単調でつまらない仕事に就いていた時、気 を紛らわすために休み時間ごとに中也の詩を読ん でいた。そうすることで何かが癒されるのが感じ られた。
幸いなことに今では本を買わなくても青空文庫 で「在りし日の歌」と「山羊の歌」は読むことが できる。死後50年が経過して著作権が切れてい るからだ。ぜひぜひ御一読をと勧めたい。
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