空遊は普通は余り懺悔しない人である。
それどころか人一倍無責任で、自分のせいで他人が苦しんでも いっこうに平気だったりする。子供の頃はこれに加えてきれる と乱暴狼藉を働くことがあったから、はた迷惑なことだったろ うなと思う。喧嘩で相手を肩にのせて首に手を掛けてアルゼン チン・バックブリ−カー状態で首を締めて落としてから地面に 叩き付けたり、椅子の背を喧嘩相手の口に突っ込んで歯を折っ たり、文化祭の準備をしろしろと言って口うるさい委員長を下 駄箱前でまず頭突きして次に彼の頭を下駄箱に叩き付けてまた 引っ張ってきて頭突きして、また叩き付けて・・・。
いやはや、誰も大怪我したり死んだりしなかったことに感謝。
ある日担任の先生に「お前もういっこ年取って同じことやって 怪我させて相手の親に訴えられたら年少行きにかてなりかねへ んぞ!そんなんなってええんか!」とこっぴどく大目玉。それ 以来至って平和主義者になった。
今の空遊を知る人は冗談を言っているように聞こえるだろうが 本当の話。今はどつきあいのけんかなんてとても出来ない。
さてさて、空遊が今でも思いだす度に胸を痛めるのはそんな事 ではない。それは犬の話。
ぼくは犬を飼っていた。散歩も餌もぼくが主な係だったから、 基本的に僕の犬という感覚だった。犬の本を読んで飼い方を勉 強していると、そこに「フィラリア」という恐ろしい病気の話 が載っていた。フィラリアとは蚊によって媒介される病気で、 寄生虫がいったん成長してしまうと治療法が無いが予防接種に よって感染を防げるものである。そう書かれていた。 子供心にも読んだだけでその病気の恐ろしさはよく伝わってく る。両親に話して予防接種してくれと頼んだが両親は「雑種の 犬にそこまでしなくても、金もかかるし獣医も近所にいないし 無理だよ」と言う。金も力もない子供の僕はあきらめてしまっ た。そして数年が過ぎ、僕の犬はフィラリアを発症し、それか らまた何年かしてフィラリアがもとで死んでしまった。それも 僕が海外に行っていて留守にしている間に。
自分の無力さと努力の足り無さゆえに、自分の犬を殺してしま ったという気持ち。何をどう考えても自分が100%悪い感じが した。愚行後悔先に立たずとはこのこと、今となっては犬に詫 びる術も無い。
時折眠りと目覚めの狭間のような意識の状態の時に、思いだし ては涙が溢れてくる。「ああ、どうしておまえは犬になんか生 まれて来たの。犬になんか生まれなければこんな目に合わなか ったのに・・・」そんなこと思ってもどうしようもないのだけ れども、そう思うから仕方が無い。
自分が何をしたにせよ、神に許しを請うようなメンタリティー は持っていないけれども、苦しませて、死なせてしまった犬に だけは頭の上がらない、そんな空遊であった。
・・・
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