Espressoを飲みながら

2001年06月10日(日) 空遊の懺悔

 空遊は普通は余り懺悔しない人である。

それどころか人一倍無責任で、自分のせいで他人が苦しんでも
いっこうに平気だったりする。子供の頃はこれに加えてきれる
と乱暴狼藉を働くことがあったから、はた迷惑なことだったろ
うなと思う。喧嘩で相手を肩にのせて首に手を掛けてアルゼン
チン・バックブリ−カー状態で首を締めて落としてから地面に
叩き付けたり、椅子の背を喧嘩相手の口に突っ込んで歯を折っ
たり、文化祭の準備をしろしろと言って口うるさい委員長を下
駄箱前でまず頭突きして次に彼の頭を下駄箱に叩き付けてまた
引っ張ってきて頭突きして、また叩き付けて・・・。

いやはや、誰も大怪我したり死んだりしなかったことに感謝。

ある日担任の先生に「お前もういっこ年取って同じことやって
怪我させて相手の親に訴えられたら年少行きにかてなりかねへ
んぞ!そんなんなってええんか!」とこっぴどく大目玉。それ
以来至って平和主義者になった。

今の空遊を知る人は冗談を言っているように聞こえるだろうが
本当の話。今はどつきあいのけんかなんてとても出来ない。

さてさて、空遊が今でも思いだす度に胸を痛めるのはそんな事
ではない。それは犬の話。

ぼくは犬を飼っていた。散歩も餌もぼくが主な係だったから、
基本的に僕の犬という感覚だった。犬の本を読んで飼い方を勉
強していると、そこに「フィラリア」という恐ろしい病気の話
が載っていた。フィラリアとは蚊によって媒介される病気で、
寄生虫がいったん成長してしまうと治療法が無いが予防接種に
よって感染を防げるものである。そう書かれていた。
子供心にも読んだだけでその病気の恐ろしさはよく伝わってく
る。両親に話して予防接種してくれと頼んだが両親は「雑種の
犬にそこまでしなくても、金もかかるし獣医も近所にいないし
無理だよ」と言う。金も力もない子供の僕はあきらめてしまっ
た。そして数年が過ぎ、僕の犬はフィラリアを発症し、それか
らまた何年かしてフィラリアがもとで死んでしまった。それも
僕が海外に行っていて留守にしている間に。

自分の無力さと努力の足り無さゆえに、自分の犬を殺してしま
ったという気持ち。何をどう考えても自分が100%悪い感じが
した。愚行後悔先に立たずとはこのこと、今となっては犬に詫
びる術も無い。

時折眠りと目覚めの狭間のような意識の状態の時に、思いだし
ては涙が溢れてくる。「ああ、どうしておまえは犬になんか生
まれて来たの。犬になんか生まれなければこんな目に合わなか
ったのに・・・」そんなこと思ってもどうしようもないのだけ
れども、そう思うから仕方が無い。

自分が何をしたにせよ、神に許しを請うようなメンタリティー
は持っていないけれども、苦しませて、死なせてしまった犬に
だけは頭の上がらない、そんな空遊であった。

・・・
 


 < 過去  INDEX  未来 >


空遊 [MAIL]

My追加