武ニュースDiary
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2004年11月12日(金) |
power men下(台湾VOGUE) |
11月7日の続きです。
成長 成長の話になると、ここ数年、積み重ねてきた経験を振り返って、 彼はあたりさわりなく、こう、笑いながら言った。 「面の皮が厚くなったことかな! 以前は人前に出るのが恐怖症の生徒で、 台に上って説明するものは、いつもすごく点が悪かった。 いつもうつむいてぶつぶつ言ってました。 デビューしたてのときも、緊張して震えてたし……」
彼が以前、自分をちょっと自閉的と表現していたのももっともである。 「性格的に、ぼくはすごく極端で矛盾してるんです。 愉快な時は猛烈に遊ぶ、いかれたみたいに。 ふさぐと、厳しい冬が来たみたい。落ち込んでわけがわからなくなる」 彼は話しては笑い、いたずらっぽい表情を見せた。 「ずっと同じことはやりたくない」 「違うことをすることで自分が成長していると感じられる。 いつも違う役をやりたいと思うのも、それだから」と 彼はまじめに言葉を足した。
金城武を見ると、すぐその瞬間的な爆発力を思う。 そして感性と柔軟性を。 もし、彼をあまりよく知らなければ、「ひどく不真面目」に見えるだろう。 彼の考えはある方向に固定されず、 どんな環境にあっても、生き生きできるタイプの人間だからだ。
「ぼくはあまりものを考えないし、将来を美しく思い描きもしない、 だから、たくさんのことをやるよう努力するだけ。 でも、あまり先のことは考えないし、高望みもしたくない。 喪失感がついてくるからね」
仕事好きも、彼の生活スタイルである。 「仕事のないときは、大いに遊ぶ。仕事と遊びとははっきり分けています」
友情 表に出ないが、彼の性格には負けん気の強さが潜んでいる。 特に困難にぶちあたったり、悩みがあったりするとき、 何人かの気心の知れた友人以外には、それを訴えることはほとんどない。 いつも1人で自分の心の中の傷口をなめて癒す。
「友達に電話していなかったときが、1番がっかりするときです」 友達づきあいの原則は「まこと」だと彼は言う。 「ぼくは真実のある人が好き。どんな考えだろうと口に出して話し、 警戒心を解くことで、自由な感覚になれる」 そうであるから、彼は学校時代の純真な歳月を特別懐かしく思うのだ。
「昔、仲間達と夜中にこっそり抜け出し、 学校の体育館でバスケットをして、草原に横になって、明け方の空気を吸った。 空が白み始めると、バイクを飛ばして みんなで永和に豆醤を食べに行った。 また、一緒に朝まで酒を飲んでおしゃべりしたこともある。 でも年をとってきたら、徹夜はもうダメになりましたね」 すばらしい青春時代の話になると金城武が話す、いろいろなエピソードは、 何しろ前のことだから、記憶はあいまいになっているかもしれない。 しかし、あの、何ものにも束縛されない、自由な感覚を思い起こすたび、 気持ちが奮い起こされるのだ。
演技者 ずっとやってきて、金城武にとって、やりやすくなったことは何だろう? 1番難しいのは何だろう? いつから、自分を本物の芸能人だと意識し始めたのだろうか? 「ぼくは恥ずかしがりで、この仕事を始めたばかりのときは、 人前で『しぐさをする』のがつらかった。 でも、歌も演技も、今は慣れて、ずいぶんやりやすくなりました。 難しいのは、今までやったことのないものをやろうとするとき。 とても努力が要るし、結果は決まっていない。
最後の質問で言えば、面白い映画を撮っているとき、『俺は俳優だ!』と思う。、 初めてそういうふうに感じたのはウォン・カーウァイの映画に出てから。 ぼくは運がよかったと言うべきでしょうね。 ちょどそのころ、彼の映画が日本でいい評価を得て、 ぼくはうまい具合に日本語が話せた。 彼の映画に出してもらえたことに、心の底から感謝しています。 ぼくは映画は芸術だと考えていて、 それに参加するのは、確かにいい人生経験ですよ」(完) (蔡耀文 VOGUE台湾 2004年10月号)
BBS 2;50
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