武ニュースDiary


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2004年04月13日(火) 童年往事・上

1997年の台湾のアイドル雑誌に載った聞き書き。
子ども時代とこれからを語ります。
一番上のお兄さんのことを(チラとですが)話しているのは、
私は初めてかな? 2回で。

子ども時代のこと

高揚の少年時代――一番大切な思い出を話そう

自分がいったいどんな性格をしてて、
具体的にこれが本当の自分だよと語れるかどうか、よくわからない。
もしかすると、たくさんの人の目に映った金城武――
もしかすると友達や家族の目に映った金城武みたいに、
活発とか明朗とか自信家とか劣等感がある……
といった言葉とか。
でも、ぼくに言わせれば、ぼくは非常に内にこもる人間で、
それは小さいときから。
そんなぼくが、芸能界に入ってから、はっきりと変わりました。
ぼくに興味を持ってくれているファンや友達なら、
誰でもそう感じると思います。

ぼくの父親は日本人で、母親は台湾人です。
この中日の組み合わせが、ぼくの性格をちょっと違うものにしたんです。
お父さんは一年中外国を飛び回っていたから、
子どものことは自然と、お母さんの仕事になりました。
両親のぼくら兄弟3人の教育は、中国的でもあり、日本的でもあり、
だからぼくらは、2つの国の違いと受容性との生きた証明みたいなものなんです。
面白いですよ。

子どものとき、ぼくはひどく内向的でしたね。
その頃一番崇拝していたのはお兄さんでした。
年がだいぶ離れていたからかもしれないな。
だから、いつも兄の一挙一動がぼくのお手本でしたよ。
でも、それ以外では、小さいときからの夢は、
自由に飛びまわって人々を救う「スーパーマン」や
「警察官」(「天眼」影集に出てくるような)になることだった。
だって、強きをくじき弱きを助けることができるなんて、すごいことだもの!

外国人学校に通ったので、ずうっといろんな違う文化の人と
触れることになったんですけど、そのことでたくさんのことを学んだし、
包容力をつけてもくれました。とても大きな収穫だったと思います。
少なくとも、芸能界に入ったぼくにとっては。
ぼくについてのゴマンとある噂を聞いても、影響されないでいられました。
もちろん、周りの友達や家族にはもっと感謝しなくちゃならないです。
ぼくがちょっとばかりわがままやっても、
寛容に受け止めてくれましたからね。

ときどき思うことがありました。
ぼくみたいに内にこもった人間に、素晴らしい子ども時代なんかあったろうかって。
今、こまかく思い出してみると、それでもやっぱり
言葉では言いにくいけど喜びがあったと思う。
お兄さんと一緒に遊んだり、クラスメートとわけのわからないことをしでかしたり。
授業をさぼったりとか、バカ騒ぎやったりとかね。本当に楽しかった。
子ども時代は二度と来ないものだし、
これからどんなに素晴らしい生活があるとしても、
子ども時代にとってかわることはできない、
だからこそ、こんなに懐かしく、よく覚えているんでしょうね?

誰にも、きっとそれぞれ若いときの思い出があると思います。
みんな、こんなにまじめに努力して人生の道を切り開いているから――
ぼくもそうですけど。ね、ぼくは自分をとても幸福で幸運だと思ってます。
小さいときから大勢の人が心をかけてくれて、面倒をみてくれて、今もそう――
だから感謝するだけじゃなくて、大事にしたい。
だって、満足を知り、贅沢しないことを知る人こそ、
誰より幸福について語る資格があるといつも思ってますから。(続く)
(1997)


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