武ニュースDiary


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2003年07月14日(月) りえは金城武を忘れない(2000年の新聞記事●1999年、台湾を訪れた宮沢りえ )

りえは金城武を忘れない(2000年の新聞記事

昨日、「聖夜の奇跡」を久しぶりに見ていて、そういえば、武君が宮沢りえのことを、
自分と似ているところがあると言っていたなと思い出しましたが、
それが日本語で読んだのか中国語で読んだのかわからなくなっていて、
あるはずの資料が探せませんでした。

2人ともハーフで、若いときから芸能界に入って、
いつも自分より年上の人ばかりの間で仕事をしてきたということから、
武はりえに自分と近いものを感じていたらしいです。
そういうこともあってか、2人は良い友人としての関係を保っているみたい。

「運転手の恋」出演のため、2000年春に3度目の訪台をした宮沢りえは、
台湾の思い出はそれほどないが、友人の金城武が食事に連れて行ってくれたことは、
ずっと忘れずにいた……と、記者が報じたことがありました。

<宮沢りえは、今回は11日間在台の予定であり、その間、ただ1つの希望は、
わざわざ携行した電気鍋で、ホテル内のどこかで調理をしたいということだった。
プロデューサーの張華坤が、りえに台湾で何か食べに行きたいものはないのかと
たずねたところ、りえは、前年の金馬奨で来たときにした食事が、
とても奇妙だったことを言った。
客の1人1人に、それぞれ別の給仕がついたというのである。
詳しく聞きなおして張華坤は、ハタと気がついた。
「それは金城武がお連れしたんですね。どうりで、店員達が全員出てきたわけだ」>
(民生報 2000.3.6 より)

台湾の新聞は、宮沢りえにはとても好意的です。
外見から性格、雰囲気にいたるまで、いつもほめています。
その1999年に、次回はさかのぼってみます。

ところで、今回見直して気がついたのですが、
芝居の中心が相手役に移っているとき、彼はすごくいいリアクションをするんですね。
宮沢りえが、感情の変化を表情やしぐさなどだけで表す、非常に内的な演技をしているとき、
その合間合間に武の表情がインサートされることで、宮沢りえの演技に厚みがつく、
というか、いっそう真実らしくなる。それをすごく感じました。

例えばこれを、「神様、もう少しだけ」で言うと、深田恭子の演技は、新鮮だったけれども、
あの精いっぱい、一生懸命の芝居を受ける「啓吾」役が、
もし下手な役者、あるいは演技過剰の役者だったりしたら、どうだったろう。
どっとウソくさく、芝居がかったものに見えたのじゃないだろうか。
自分の役を「上手に」やるだけでなく、相手の演技に真実味を与えていく――
それも、そうと気づかせないさりげなさで。
うすうす感じていた、そんな彼の良さ・凄さが初めてはっきり見えた気がしました。


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1999年、台湾を訪れた宮沢りえ - 1999年の台湾の金馬奨に、宮沢りえはプレゼンターとして招かれました。
12月初めの台湾紙は、宮沢りえは3日間滞在、プレゼンター役を務めるだけでなく、
報酬は9月の震災復興のために寄付する心積もりでしたが、
金馬奨の予算が限られているのを知り、無報酬で出演することにしたと伝えています。

また、出席に当たって、前もって本人の写真、フィルモグラフィー、
身長、血液型から靴のサイズまで、基本資料を送ってきましたが、
TVBSはそのプロとしての態度に感服すると同時に、
スターぶらない人であることがよくわかったといいます。

宮沢りえへのオファーは、友人である金城武の縁を通じて行われました。
りえと武は「聖夜の奇跡」「神様、もう少しだけ」の共演で友情篤く、
今回、武の事務所が金馬奨の盛典の製作担当であり、
りえの連絡先電話番号も知っていたことから、
この縁を通じてTVBSがりえに電話をして承諾を得たものです。

授賞式では、それぞれフェイ・ウォン、ジャッキー・チェンと組み、
同じ舞台には上りませんでしたが、
この両組ともユーモアあふれる司会ぶりで、とても楽しかったです。
りえ&ジャッキーも機会があったらぜひ見てほしいです。
カンペを見ながらのりえのたどたどしい北京語のあいさつを、
ジャッキーが横で北京語(!)に通訳するなど、とってもいいコンビぶりでした。

以下、民生報の記事から抜粋。
「宮沢りえは金城武をいつまでも忘れない。
昨日、宮沢りえは晴れやかな顔で台湾に到着したが、
スタッフに、昔からの友人の金城武に会えるかどうか、
授賞式では彼と一緒に座れるかどうかと何度もたずねていた。
彼女は人見知りする方なのだ。
金馬奨授賞式プログラムプロデューサーの侯文燕は、宮沢りえは貴賓であり、
このような小さな希望は全く問題ない、一緒に座れるよう手配すると言った。
(中略)
数年前、宮沢りえは精神的挫折から拒食症になった後、
金城武と単発ドラマ「聖夜の奇跡」で共演した。
2人の共演は楽しい経験となり、
武はこのドラマの成功で日本の芸能界に進出する糸口を開いたし、
りえは拒食症のため演技できなくなっていた状態から脱することができた。
2人は互いに力を認め合う友人となった。
ここ数年、武は日本での人気をどんどん高め、第一線の主演男優となった。
りえは親友の成果を非常に喜んでいる。

今回、宮沢りえは2度目の来台を果たし、金馬奨のプレゼンターとなった。
金城武も同じくプレゼンターとして出席する。
りえは一緒にプレゼンターを務めるわけではないが、
武と再会するのを非常に楽しみにしていて、スタッフに、
明日、友達の金城武と会えるかどうか、自分からたずねていた。
さらに武と一緒に席に着くことを希望しているが、
そうなれば2人日本語で旧交を温めることができるだろう」(以下略)
(1999.12.12)

記者会見では、
「話が金城武のことになると、りえは大きな目を輝かせて、この1年間会っていない、
今回台湾に来て一番会いたいのは彼であり、会って「お久しぶりです」と言いたいと述べた。
さらに、金城武は大変魅力があるだけでなく、撮影現場をよくしようとする俳優で、
もし良い監督、良い脚本にめぐりあえたら、また共演したいと語った」
(1999.12.13 の星報と聯合報より)

1年間会っていないというのは、「神様、もう少しだけ」以来ということでしょうね。


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