武ニュースDiary


* このサイトはリンクフリーです。ご連絡はいりません。(下さっても結構です。^_^)
* 引用は、引用であるとわかる書き方なら、必ずしも引用元(ココ)を表示しなくても構いません。
* 携帯からのアドレスは、http://www.enpitu.ne.jp/m/v?id=23473 です。
* 下の検索窓(目次ページにもあり)からキーワードでDiaryの全記事が検索できます。
* バナーは世己さんから頂きました。
* Se inter ni estus samideanoj, kontaktu al mi. Mi elkore atendas vin, antauxdankon!


目次前の記事新しい日記


2003年04月04日(金) 金城武自伝 第3回

このページは武「ニュース」と麗々しく掲げてはおりますが、
国内ニュースは全くといっていいほどフォローしていませんので、
ご了解ください。
何しろ、たまに自分がお知らせすることのできたTV番組さえ、
見逃すような人間ですので。

様々なニュースに心騒ぎ浮き足立つ今日この頃ですが、
心を落ち着けたい方は、どうぞ立ち寄って
いにしえの話をお楽しみ下さい。

金城武自伝 第3回「バイクのために身売りする」

芸能界の仕事やきらびやかなスターの暮らしは、
本当はぼくの理想ではない。
もともとあまり自己表現欲のない人間で、
だから、スターになりたいと憧れたことはなかった。
だがそれも、惚れこんでいたバイクがぼくの前に現れるまではだ。
それを手に入れるために、他のことは何も考えず、ぼくは芸能界に入ることを決めた。

同級生のお母さんがCM会社に勤めていて、
ぼくにCMに出るようずっと声をかけてきていた。
その人があまり勧めるものだから、とうとうぼくも清涼飲料水のCMに出ることを承知した。
CMが放映されると、今の事務所がぼくに注目して、
素質があるからタレント契約をしないかと言ってきた。

そのとき、ぼくは自分に芸能人としての素質があるかどうかなんて、
よくわからなかったし、この業界のことも知らなかった。
でも事務所はとても誠意ある態度で、彼らのファミリーに加わらないかと誘った。
お父さんとお母さんはぼくが芸能界に入ることに反対しなかった。
ぼくは自分自身で事務所と契約するかどうかを決めた。

ぼくがまだ心を決めかねていたとき、
なんと、ずっと夢にまで見るほど欲しかったバイクが売りに出たのだ。
「こいつは絶対、買いだぞ」とぼくは自分に言い聞かせた。
ところが、家からお金をもらう考えは全然なかったが、
といって自分の貯金だけでは足りない。
あれやこれや考えた結果、唯一の手だてが芸能界に入ることだったのだ。

事務所と契約した後も、ぼくにはこの道でやっていける自信がなかった。
これはぼくの最初の正式な就職だった。
前にレストランで夏休みに働いたことはあるが、短期のアルバイトだったから。
オーナーは厳しかったし、仕事もとても辛く、つまらなかった。
芸能界に入って初めの頃は、やっぱりこの仕事も、辛いのはしょうがないんだろうかと、
いつも思っていたものだ。

初めてのテレビドラマ「草地状元」に出演したときのこと、
もう何十回もNGを出し、頭を地面につっこみたい気持ちだったし、
本当に人の顔が見られなかった。
初めてカメラの前に立つと、道を歩くだけのことが、
どうやっていいか全くわからず、体がカチカチになってしまう。
その後、経験を積む中で、このような心理的な面を少しずつ克服していくのだが。

本当は、ぼくはずっと幸運だったと思っている。
デビューしてすぐ、マスコミはぼくを台湾四小天王にまつりあげ、
大物の芸能界の先輩、アニタ・ムイ、マギー・チャン、ミシェール・ヨーと
「ワンダーガールズ2(東方三侠2)」で共演することができ、
さらに運のよいことには陳昇がCDをプロデュースしてくれた。
演技も歌も、たくさんのことを学べたのは言うまでもない。
中でも師である陳昇のもとで、ぼくは音楽をやる深い喜びを知った。
彼がぼくの人格的成長に与えた影響はとても大きい。
ぼくは彼のように自分自身の音楽を数多く作っていければと思う。
今は映画やドラマに時間がとられ、アルバム製作にあてる余裕がないけれど、
音楽は決して捨てないだろう。


BBS


前の記事あさかぜ |MAIL

My追加