武ニュースDiary
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2003年04月05日(土) |
金城武自伝 完結編 「仏との出会い」 |
20歳の誕生日を迎えてから、自分はもう大人だ、と強く感じ、 多くのことについて自分なりの考えを持つようになった。
そのころ、たまたま哲学というものに出合った。 哲学は奇妙なほどぼくをひきつけ、様々な興味深い思想にぼくは夢中になった。 哲学書への関心は少しずつ深まっていったが、 それはすごく啓発されたからというわけではなく、 いろいろと読めば読むほど、とても面白いものだとわかったからだ。 少し抽象的かも知れないが、これらの本は、多くのことは表面に現れた意味の他に、 深層に別の意味をもっているのだと悟らせてくれたのだ。 たとえば、「愛の反対」という簡単な命題に対して、 一般的な答えはたいてい「愛の反対は憎しみである」というものだ。 しかし哲学書は思いもよらない答えをする。 その意味を探り出すのがよけいに面白くなる。
その後、ぼくは密教を信奉するようになり、 リチャード・ギアやアニタ・ムイと同じ門下に入った。 実はぼくは仏教とは、小さい頃から切っても切れぬ縁があったのだ。 ぼくはいたずら好きで、お母さんとお参りに行くといつも、 バスに乗ったとたん、あちこち歩き回って、じっと座っていることができなかった。 ある日、お参りをすませ、バスで帰るとき、 お母さんはさっき使った数珠をぼくの手に持たせた。 すると、ぼくはいつもとは打って変わって、歩き回ったりしないばかりか、一言も喋らず、 じっと席にすわって、ときどき念仏の文句を口にしたので、 お母さんはひどく不思議に思ったという。
密教に入信してからは、人生や日常生活のことが違った見方で見えてきた。 以前よりもっと楽観的になり、縁に身を任せるようになった。 25歳になった今、昔の自分を振り返ると、ずいぶん成長したと思う。 ぼくは常に変化している。少しずつ大人になり、 新しいことに出あっていつも何かが変わっていく。
今一番願っているのは、もう少しプライベートな空間がほしいということだ。 どんなふうに私生活をマスコミから守っているのか聞かれることがあるが、 守る方法なんかない、とぼくは思う。相手にしないようにするだけだ。 人はどうしたって生活していかなきゃならないのだから。 あることから逃げるために、その自分の生活の仕方を無理して変えようとすれば、 不健康にならざるを得ないだろう。
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