(仮)耽奇館主人の日記
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2005年11月26日(土) |
生まれる前の音と、死んだ後の音のこと。 |
私が面倒を見ている、重度聴覚障害者四人組によるインダストリアル・ノイズ・ミュージックのユニットのリーダー格のM君が、練習の成果をMDに録音して持ってきた(詳しくは、『2005年09月04日(日) Ich bin ein Gebrüll des Stahles.』を参照のこと)。 最近の練習方法は、先人の作品をコピーするというものなのだが、この四人組は全く耳が聴こえなく、皮膚感覚からなる音感で演奏するので、例えば、ベートーベンの「運命」をコピーするとしたら、それは震動としての「運命」なのだ。 ベートーベンを愛する者なら、きっと聴くに耐えないと叫ぶだろう。 しかし、音楽の可能性、広がりを信じている者なら、四人組のベートーベンを彼らなりの解釈として受け止めるだろう。 私は一通り聴いて、うん、なかなか面白いが、鉄琴の叩き方をもっと矯正しなきゃダメだぜと、M君の目の前で鉛筆をばち代わりに持って、水平に持って弾ませるように叩くんだと説明した。 私は音楽に関しては、下手くそ、音痴もいいとこなのだが、幼少時、会話訓練を積んだ際、音感を磨くために、それこそ手の皮がむけるくらいに楽器を鳴らす練習をさせられた。 補聴器をつけて、スピーカーから浴びせられる震動に身体を委ねつつ、太鼓を叩いたり、木琴、鉄琴を弾いたり(しかもトレモロ奏法までこなした)、トライアングル、シンバル、ウッドブロック、果ては拍子木まで響かせたものだ。 思えば、みんな打楽器だったのだが、これはしょうがない。打楽器こそが、身体で感じるにはもってこいだったからだ。 そんなわけで、私は打楽器だけはそれなりに教えられるのである。 で。 デビューの際は、当然、オリジナル曲を編まなければならないが、テーマは決まってるのかねと聞いたら、今までにみんなが感じたことのない音をやりたいんで、生まれる前の音と、死んだ後の音をやりたいんですと手話で言ってきた。 その瞬間。 最近知り合ったPICOさんというミュージシャンの言葉を思い出した。
「音楽は、誰でも出来る唯一の表現なのです」
そう、誰でも。ということは、誰でも聞いたことのない音楽を演奏出来るということでもあるのだ。その気になれば。
・・・・・・
「なるほど、生まれる前ねえ、パッと連想するとしたら、子宮の中の音だろうなぁ。どんな音だったか覚えてるかい?」と私。 「覚えてるわけないでしょ!」とM君。 「うん、覚えてないんだけれども、みんなが知ってる音があるだろ。それは・・・」 「心臓の鼓動ですね?」 「それをどうやって演奏するかだね」 「ええ。後ですね、死んだ後の音というのは・・・」 「俺なら、魂が抜け出る音なんだけどな」 「聞いたことあるんすか、それ」 「あるよ」 と、私は口で、その音を出してみせた。 M君は聴こえないのだが、彼の指先が私の唇に触れて、魂が抜け出る音を感じ取った。 「ううーん、ビブラフォーンで出来そうですね」 「おお、そうかい?楽しみにしてるぜ」 それにしても。 文面で、魂が抜け出る音を表現するのは、至難の業だ。 ため息をつく。 それも果てしなく、長く。 そんな音なのだが、音色がまたとてつもなく、冷たく寂しいのだ。 しかし。 どうかすると、その音は、急に熱を帯びたように聴こえる時がある。 生への最後の執着というか・・・ あがきというか・・・ 私は、そんな音を、様々な臨終の場で聞いたことがある。 引導を渡すために、呼ばれた際に・・・ 今でもはっきりと浮かび上がる、死に顔の真ん中にぽっかりあいた、黒々とした口内の中の穴。 そこから・・・ 地獄まで吹き抜けるかと思うような、呼吸音が響くのだ。 甘く切ない呻き声、喘ぎ声とともに。 それが、私の知っている「死んだ後の音」である。
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四人組の健闘を祈る! 今日はここまで。
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