(仮)耽奇館主人の日記
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2005年05月01日(日) ノーブル・カクテルのこと。

今まで、脂肪肝気味だったので、大好きな酒が好きなだけ飲めなかったのは、誠に辛い試練であった。
体重は増えたが、胸筋と上腕二頭筋が太くなった分であって、体脂肪は努力のかいあって、減少を続けている。
で、お医者先生から、禁酒解除の許可を頂いたので、さっそく自分でマーティニ、ダイキリを作って飲んだ。
カクテルに関しては、コンビニや酒屋で、永瀬正敏さんがイメージキャラをつとめている、気軽に飲めるやつがあるが、あれはあくまでも、「気軽にカクテルを飲んだ気分になれる」やつである。
決して、本物ではない。
カクテルは、その人個人によって、千差万別の好み、飲み方があるので、気軽に飲めるものなんて絶対にありえないのである。
ミスラ君が学んだオックスフォードでは、カクテルに関する研究会があるらしいのだが、真面目に研究していたのは前世紀までで、現在はもっぱら先人たちの発明の美味しさに酔うだけだそうだ。
甘え、かつ、溺れているようでは、大英帝国も王室の威厳とともに、滅びるままであろう。
私は、飲食にかけては、誰よりも食い意地がはってるので、美味しく食べたり飲んだりできるならば、どんな手間もいとわない。
つまり、私自身の食欲と味覚に、非常に忠実なのである。
元々、カクテルの奥義を私に教えてくれたのは、お寺の住職を務めている従弟であった。
この男は、ソルティー・ドッグが何よりも大好きで、ほとんどそれしか飲まない。
浅草のバーやスナックで、様々なソルティー・ドッグを飲み歩いて、一番美味いのは、やはり、自分で作るやつだそうである。
さもありなん、日々の気分次第で、塩加減が違ったり、グレープフルーツの量も違ったりするから、その日の、もう一人の「自分自身」を投影したソルティー・ドッグが美味く感じられるのは当然だろう。
同時に、作り方をマズッて、やりきれない味になりはてたソルティー・ドッグを飲む日もあるのだが。
そういうことなのである。
ちなみに、私にとっての「初体験」のカクテルは、五歳の時で、祖父が飲んでいた赤玉ポートワインをうらやましそうに眺めているので、見かねた祖父が牛乳で割って飲ませてくれた。
「赤玉ポートワインの牛乳割り」。
カクテルとは程遠いが、これでも私にとっては、立派なカクテルで、味をしめた幼少時から、カルピスと同じようにガブガブ飲み続けてきたものだ。
今でも時々、作って飲んでいる。
もちろん、色々なカクテルの味を知った今では、「赤玉ポートワインの牛乳割り」は決して美味しい飲み物ではないが、飲んだだけで、ありとあらゆる記憶の大海が洋々と広がるという飲み物では、あくまでもノーブルという意味で、しつこく脳皮質に刻み込まれている。
だが、これこそ、実はカクテルの奥義なのだ。
いかにして、その日を最も美味く飲むか。
これは従弟の極めた奥義だが、
飲んだだけで、どれだけ何かを思い出せるか。
を、私は極めた。
マーティニといっても、私が飲むのは、現在の主流の、ドライではなく、前世紀の初期のしっとりしたやつである。
ダイキリも同様で、重いラムから順番に、慎重に重ねて乗せていくという手間をかける初期のやつだ。
わざわざ、そういう面倒な飲み方をすることで、私は実に多くのことを思い出す。
家族のことはもちろん、
下北沢で仲間たちと飲み歩いたことや、国内、海外のロケ現場での打ち上げ、後、徹底的に個人的なものなど・・・。
最初から出来上がったものを気軽に飲むやつだと、こんなに色々思い出さない。
急流みたいに、全部洗い流されてしまうからだ。
ゆったり、まったり、ゆとりたっぷりに、もったいぶって、飲むことで、記憶の流れは、ゆっくり蛇行しつつ、おのおのの、「内部風景」をじっくり眺めさせつつ、そして広い広い海へ溶けていく。
久しぶりに、こういう飲み方が出来たので、私はほんとうに嬉しい。
今日はここまで。


犬神博士 |MAILHomePage

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