(仮)耽奇館主人の日記
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2005年04月27日(水) 内なるミシマ、あるいはディープ・パッションのこと。

ここのところ、東宝制作の「春の雪」(行定勲監督)の公開に向けて、何かと三島由紀夫の話題が周囲にぽつぽつと沸き出してきている。
会社は映像が本業だから、当然、三島由紀夫の世界をどれだけ映像化出来るのか熱っぽく予想しあっているというあんばいだ。
新刊に、「三島由紀夫が死んだ日」(実業之日本社)という本があって、私は早速買って読んだが、各々の、内なる三島由紀夫の姿がありありと目に浮かぶようで、思わずほろっとした。
私にとっての三島由紀夫。
初めて読んだのは、確か、小学校六年生の春で、テレビでやってた三浦友和と山口百恵の映画「潮騒」がきっかけで、新潮文庫の「潮騒」をぱらぱらとめくったのが最初の出会いだった。
その時は、ほんとうにぱらぱらとめくっただけで、じっくり読んだわけではなかったが、直感的に、映画のような、清々しい恋愛ドラマとは違うなと感じた。
例の、有名な、火を飛び越えて来て!というシーンにしても、何というか、泥臭いどころではない、原始的なものへの回帰を感じさせる「何か」があった。
あまりにも、恋愛的なものに生きる二人は、もはや神のようにしか生きられないのである。
後に、三島が古代ギリシャにこだわっていたのを知って、私なりに「潮騒」は、単なる恋愛ものではなく、神話的な、原始的なものへの回帰を目指した作品だと認識するようになった。
「仮面の告白」、「金閣寺」、「憂国」、四部作にわたる「豊饒の海」と読んでいって、少年時代の私を最も魅了したのは、「太陽と鉄」の、次に引用する一文であった。

・・・私はかくして、永いこと私に恵みを授けたあの太陽とはちがったもう一つの太陽、暗い激情の炎に充ちたもう一つの太陽、決して人の肌を灼かぬ代りに、さらに異様な輝きを持つ、死の太陽を垣間見ることがあった。
 そして知性にとっては、第一の太陽が危険であるよりもずっと、第二の太陽が本質的に危険なのであった。何よりもその危険が私を喜ばせた。

私は幼少時から、山に対して、わけもなく興奮するのだが、山そのものの自然の雄大さがそうさせるのではなく、私自身のなかにもう一つの山が隆起するからだと、私の内なる三島が説明してくれた。
そうやって理解した以上は、いかにして、自分自身の危険性をコントロールして生きていくかである。
アメリカの某評論家は、三島の第二の太陽を、ディープ・パッションと表現していたが、人間自体の「深淵」を指している点では、なかなか穿った英訳だ。
性欲や食欲を満たす上での、本能へのパッションなら、最初から満たされることを約束されているので、ほんとうのパッションたりえない。
「深淵」は最初から絶望を約束されているがゆえに、決して満たされることがないのだ。
だからこそ、果てしなく深いし、暗く、渇ききっている。
普通なら、自暴自棄になって、本能を満たすことへ逃避するだろうが、三島には美学という武器があった。
まず、小説という形で、ディープ・パッションを昇華する。
そうして、「形」となった、おのれの精神そのものに、おのれ自身の肉体そのものを捧げる。
肉体そのものも、また「形」として昇華しなければならないのだ。
それが、三島が精神的な形骸化としての、小説家としての死を選ばなかった最大の理由だと、私は思っている。
心だけではなく、身体も使って、「環」を描かなくてはならない。
おのれの内側から溢れかえってくる「深淵」そのものを呑み込み続けることで、我が身に輪廻を成り立たせなくてはいけない。
そういう美学に殉死した三島由紀夫。
そんな彼がただの恋愛ドラマを描くはずがないのである。
三島が男女の恋愛を語るのは、絶望について語るためなのだ。
絶望こそ、人生において戦うにふさわしい、輝けるパッションだからである。

映画「春の雪」は、やはり、悪い予感通り、ただの悲恋ドラマとして制作されるようだ。

上っ面しか見ない、また、見ることしか出来ない、満たされることを前提とした本能だけで生きる日本人たちの中で、自分自身の第二の太陽、「隆起する山」を抱える私は、苛々を抑えるため、ますます鍛錬に精を出すだろう。
ディープ・パッションと喜んで向き合って、生き続けるために。

今日はここまで。


犬神博士 |MAILHomePage

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