(仮)耽奇館主人の日記
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2005年04月17日(日) |
リアル・ゴシックのこと。 |
今日は、久しぶりにゆっくり出来たので、花粉症チェックも兼ねて、自宅から徒歩で市川駅まで散歩をした。 途中に真間という閑静な町があって、「(仮)」が取れた、新生「耽奇館主人の日記」のホームページの扉画像として、本格的な撮影をねらっている、「魔王の門(幼少時の、私の中の呼び名)」の前を通った。 上にアップしたのがそれである。 当時、二つか三つの私を国府台の福祉施設に送り迎えしていたおふくろが、ここを通る度に、「ドラキュラでも住んでそうだわ」と呟いていたことは今でも鮮やかに蘇ってくる。 ほんとうに、昔から私の心をとらえて離さなかった、「魔王の門」。 現在は、現代風の建物に再建されているが、当時はものすごく妖しい、豪華な、ゴシック建築だったのだ。 長崎で出会った知人は、幼少時からグラバー庭園の近くで育ったことを誇りに思うと言っていたが、私にとって、グラバー庭園以上のものがこれだった。 世間では、ゴシックが色々な意味でもてはやされているが、たいていは、本や資料で得るものばかりだ。 後、ビジュアル系の服とか、ガイコツなどのオブジェとか。 しかし、私にとって、ゴシックとは、近所の「そこ」に日常的な風景として存在していた。 こんな威嚇的かつ幻想的な門扉をこさえるだけあって、当然、館の主人は三代に渡って変人扱いされてきたという。 私は先代、当代のご主人をすれ違い様に見かけたことがあるが、二人とも、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」の館主、降矢木算哲博士のイメージにピッタリの妖しい風貌だった。 言わば、「生けるゴシック」そのものだ。 そして。 恐らく、このへんで、幼少時よりこの門扉を心のなかの風景に常設するくらい、愛でていたのは、私以外にはいまい。 私もまた、ゴシックを愛する耽奇館の主人である。 ほんとうは、将来建築予定の、新築の我が家の門扉に、これそのものを手に入れて、威嚇的かつ幻想的なものを受け継ぎたいのだが、今のところは、精神的なもので我慢するしかない。 新しいホームページのなかで、「魔王の門」は、「耽奇館」の精神的なシンボルとして、電脳世界の隅々まで妖しい光芒を放ち続けるだろう。 ・・・・・・ 面白いことに、こんな逸話がある。 「魔王の門」がある西洋館の隣に、普通の家屋があったのだが、ここに泥棒くんが侵入して逮捕されたことがあった。 警察の、「西洋館の方が金目のものがありそうなのに、なんでそっちへ行かなかったんだ?」という質問に、泥棒くんはこう答えたそうである。 「怖くて入れなかった」
門扉以上に。 館のご主人たちがそうであったように、私自身も、もっともっと、妖しさを極めよう。 館のありとあらゆる装飾は、まさしく住人の精神風景そのものだからだ。 そして、ゴシックの真の意味は、装飾されるに値する、人間自体の、暗黒面にあるということを、何度でも思い返そう。
最後に。 中学時代に、季刊「幻想文学」(当時、澁澤龍彦と中井英夫が選考委員を務めていた)に投稿した、下手くそな幻想小説の一文を引用する。サドの「食人国旅行記」の私なりの続編であった。
・・・われわれは、心のなかで、絶対的に結びついているんですよ。想像してみて下さい、われわれの共有する庭園があるとしたら、そこに飾られている、あるいは生きて歩いている怪物たちの顔は、みな、同じ顔をしているはずです。
今日はここまで。
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