(仮)耽奇館主人の日記
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2005年04月14日(木) アダルトコミックについて考える。

後輩がエロ漫画家としてデビューして、三冊目の単行本が発売されたから、もうかなり経つ。
エロ漫画については、オヤジの代からの熱心なコレクターで、オヤジのコレクションには、平凡パンチは勿論、マニアックな劇画ピラニアなんていう雑誌まであって、私のコレクションは、その影響を色濃く受け継いでいて、かなりコアなものが多い。
もはやエロ漫画家とは呼べない作家の中には、丸尾末広がまずダントツにあげられるが、個人的には早見純のパラノイアックな描写が肌に合う。
生まれて初めて、エロ漫画を読んだのはいつのことだったか。
はっきりとは覚えていないが、お寺の土蔵の中だったことだけは確かだ。
かび臭い柳行李の中にすし詰めになっていた雑誌の束から、太めの濃い化粧の熟女がスケスケのピンクのスキャンティをおおっぴらに広げて、もわもわした黒っぽいものをのぞかせていた、綴じ込みグラビアがはみ出た本を引っ張り出して、熱心に読み耽っていたのだが、その中で印象的なシーンがあった。
メガネをかけたサラリーマン風の男が、幼な妻という感じのショートの女性を一生懸命突き続けていくと、女性の顔がぐにゃっと歪んで、目玉がくるっと白目になり、唇をギュッと噛んで、ピクピク痙攣するのだ。
そして、次の大きなコマで、女性の股間、影になった膣の部分から、ビュッビュッと白い粘液が迸るのである。
男性のペニスからも同じものが迸っていたから、「興奮」すると、男も女も白いものを噴出するんだなと学習した。
それは、間違っていなかったが、女性の「射精」の瞬間を目の当たりにするのは、非常に精緻を極めたテクニックが必要だった。
ここで強調したいのは、私のいう女性の「射精」とは、いわゆる潮吹きのことではない。ドロッとした本気汁を男のように噴出させるやつだ。
潮吹きは誰でも努力すればお目にかかることが出来るが、「射精」は努力中の努力、そしてそれなりの幸運がなければ、なかなかお目にかかれない。
そのシーンがいつまでも頭に残っていたので、後輩にその旨のことを話して聞かせたら、妙な顔をして笑うだけであった。
生ではもちろん、劇画でも見たことがないから、私の冗談だと思い込んだのだろう。
確かに。
オヤジのコレクションだったから、昭和四十年代の雑誌ではそういう描写があったのだろうが、それ以降では私の知る限り、ほとんど皆無である。
後輩の尊敬する作家は、ロリコンの代名詞にもなった内山亜紀なのだが、思えば、彼の登場以来、濃いセックス表現は次第に自然淘汰されていった。
暗いイメージがつきまとう、汗臭いセックスが忌避されたわけだ。
私にとって。内山亜紀以降の、現在までのアダルトコミックの中で肌に合う作家は、最近だとビッグコミックスピリッツで「つゆダク」を連載していた朔ユキ蔵が一番にあげられる。
「つゆダク」はエロ漫画ではないが、それ以前に「快楽天」で連載していた「少女ギターを弾く」(ワニマガジン発行)は突き抜けたエロ漫画である。
私の頭につきまとう、女性の「射精」にほぼ近い、イッた描写が素晴らしい。
そして、しかも、純粋なロックンロール漫画でもある。
「昔のエロ漫画ってさ、まず生活感があって、その中にセックスがあってってやつだったんだよな。つまり、外側から内側へイクってやつさ。ところが今のは逆だよな。内側から外側へってやつだ」と私。
「精液をドバドバ出すってやつでしょ?」と後輩。
「それもあるなあ。出しすぎって感じだけどね。だけど、昔より下品な表情が萌えるという点に俺は注目するね。昔は生でもほんとに、唇を噛むとかそういうのばかりだったんだ」
「ええ、今のはほんとに・・・壊れてますもんね。そういえば、先輩、ドグマの拘束椅子トランスもの、ほんと、大好きっすよね・・・納得、納得」
「こないだ、俺の彼女、森下みるくのやつ観てて、壊れていく様が怖いって言ってたけど、俺はロックを聴くのと同じくらい気持ちよかったよ」
そう、私にとって、ロックと絶頂の描写は表裏一体なのだ。
従って、猫耳だの、メイドなどのコスプレだの、胸ぺったんこのロリータだの、そういったオタク向けの萌え要素には、一切興味がない。
いかに壊れるか。
それのみが重要なのだ。
唇を噛むだけでもいい。しかし、その後、体内からびっくりするほど熱いものを迸らせなければならない。
ギターを弾きながら放尿してもいい。しかし、その後、ちゃんと快感に震える表情を見せなければならない。
そうした私の好みを熱っぽく語ったところ、後輩は見るも哀れなくらい、壊れ、かつ、快感に嬉々として絶叫する様を描くようになった。
最近ありがちの、どこかのグラビアから切り取ったようなポーズを乱発するのではなく、キャラにひとり立ちさせて、キャラそのものが勝手に動き出しているかのような表現は、なかなか興奮させてくれた。
単行本の売れ行きはなかなかのものだそうだから、やはり、私の好みは特殊なものではなく、誰もが心のどこかに秘めているものだといえるだろう。
簡単なことである。
エロ漫画の本質とは、満足するかしないか。
で、満足するためには、いかに興奮するか。
興奮するためには、いかにその気になるか。
つまり、ちゃんと「追体験」させてくれる何かがなければ、エロ漫画ではないのだ。
何を着せたら萌えるのか、そういうことばかり熱心になっているオタクは、結局、セックスそのものを知らない、性欲を忘れたアブノーマルなのだろう。
そんな世の中、ほんとうに、私は動物的なまでにノーマルでいたい。
今日はここまで。


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