(仮)耽奇館主人の日記
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おまえの生まれた 見知らぬ国へ おまえの生まれた 遠い国へ かえろう 二人で・・・ 低く飛んでゆく
高い山の尾根を 低く飛んでゆく 青い街の屋根を 低く飛んでゆく かえろう 二人で 低く飛んでゆく
「低く飛んでゆく/LIBIDO」
私と高知県を結びつける歌といえば、今は亡き成田弥宇氏が率いていたロックバンド、リビドーの「低く飛んでゆく」だ。この歌をウォークマンで聴きながら、高知市を歩き回り、また、物部村へ向かってひたすら車を走らせていた。 当時。私は民俗学、民間信仰にドップリ浸かっていて、特に犬神憑きに異常なほど執着していた。 それで、二十代の、実に三分の一を高知県で過ごした。 高知市。中央公園。帯屋町ロード。はりまや橋。丸の内高校。金光教高知支部。丸の内警察署。高知市民病院。御堂筋。高知城。鏡川。闘犬センター。桂浜。 物部村。若宮温泉。物部村役場。奥物部。祈祷師N氏の邸宅。 それらを、常宿としていたワシントンホテルから、どれだけ歩いたことか。 そして、どれだけの濃い面々と出会ったことか。 本や資料で得る知識以上に、現地で、生身の感触でじかに得た経験で、私の中の高知県は、ゆるやかに流れるが、その水温は沸き立つように熱い、人間のエネルギッシュな生命力の奔流という印象になっていた。 それは現在でも変わらない。 そして、一番重要なのは。 犬神は存在しなかったということだ。 憑き物としての犬神が存在するとしたら、それは人間の心の中だ。 恐ろしいことだが、実際に、犬を飢えさせてその首を切り落とした時、この呪術的行為は、ただの気休めでしかないことがよく分かった。 儀式の作法を教えた祈祷師も、それがよく分かっていたことを、私は悟った。 そこに横たわる、人間自体の恐ろしさと悲しさ、そしてパワフルな生命力。 それをテーマに、私は高知県での体験をもとに一本の映画脚本を書いた。 コピーも考えた。 「日本人は神である」。 母方の遠縁の家族写真を荒くコピーしたものの上に、映画のタイトルを重ね、コピーを太いゴシック体で横たわらせたのを表紙にして、ほんとうに全身全霊を賭けて、部落差別で物部村を出奔した犬神筋の男が高知市で新興宗教の教祖となって破滅していく物語を一気呵成に書き上げた。 部落差別というデリケートな社会問題を扱っている上に、しかも新興宗教ときているから、現実的に映画制作は難しいとして、それらがデリケートでなくなる日まで、企画と脚本は眠り続けている。 とにかく、犬神と高知県は、私の青春そのものだ。 思い出すだけで、何かがざわめいてくる。 高知県の友人たちからは定期的にメールで連絡が来るが、今日、久しぶりに、手書きの手紙という今時珍しい連絡手段で、高知市の女性から連絡を頂いた。 最初、名前を見て、ほんとうに驚いた。 当時、恋愛関係にあった祈祷師の娘さんと同姓同名だったので、すわ、仇討ちにきたのかと思ってしまった。 よくよく手紙を読んだら、全くの新顔さんだったので、脱力してしまった。 名前の漢字も一文字違いだった。 でも、おかげで、当時のざわめきを一気に思い出して、少なからず、ほろっとしてしまった。 今は、絵金祭りに合わせて、ただの観光客として高知を訪れる程度だが、そのうちまた、正真正銘の「犬神博士」として凱旋するかもしれない。 その時は、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに物部村を訪れて、世話になった祈祷師の墓にお参りをしようと思う。 今日はここまで。
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