(仮)耽奇館主人の日記
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塚本晋也監督の「鉄男」を初めて観たのは、二十歳だった。 中野武蔵野ホールのレイトショーで観た時の、衝撃はいまだに皮膚感覚まで鮮やかに蘇ってくるほどだ。 一緒に観た友人は、気持ち悪い、わけがわからん、ヒドイなどと酷評していたが、私は全く正反対の感想だった。 何故ならば・・・ 塚本晋也演じる「やつ」が、工員をしていたとおぼしき、工場と同じ光景が、幼年時代の記憶に大きく位置していたからだ。 タールの匂い、生の金属の匂い、錆びた金属の匂い、メッキの匂い、火花の匂い・・・ 市川の実家の近くにあった、スクラップ工場は、幼年時代の私の格好の遊び場だった。 何台も積み重ねられた廃車の山、むき出しになったエンジンが散在する迷路の中を進むと、膨らむように変形したコンテナに詰め込まれた鉄材の屑の山が見え、螺旋状になった削りカスをひとつひとつ、ていねいに選んで持ち帰ったりしていた。 年上の、近所の悪ガキたちは、そんな私に目もくれず、石を持っては、車のボンネットやテレビのブラウン管に投げつけて、叩き割ることを日課にしていた。 そんな破壊の光景を眺めているうちに、私の中に何かが芽生え、「鉄男」の中で「やつ」が太ももに埋め込んだ鉄材とそっくり同じものを拾って、そこら中をガンガン叩くことを始めるようになった。 当時、私はまだ補聴器をつけておらず、私の世界には「音」が存在していなかったが、裸の耳で・・・ 生まれて初めて、聴いた音が鋼鉄の軋み、衝撃などの・・・高音だったのだ。 要するに、ガラスを引っかくような、耳障りな高音なら、聞こえる耳だということが判明したわけだ。 そのせいもあって、私は「鉄男」のサントラを手がけた石川忠のノイズっぽいパーカッションにもひどく反応した。 幼年時代の私が想像した、 全ての工場の全ての工員が一度は妄想したかもしれない、 「鋼鉄との融合を果たした、新しい世界」。 そういう夢を見事に、危険なまでに映像化したのが、「鉄男」だったのだ。 私は一度、鉄材で錆を削り落として、それを手のひらに集めて、口の中に入れたことがある。 じんわりと唾液が染み込み、金属の味が口いっぱいに広がり、私は錆を噛みながら、その不味さに耐え切れず、ペッペッと吐いた。 その記憶を呼び覚ますきっかけの「高音」は・・・ 「鉄男」の中のあのシーンだ。 工員姿の「やつ」が歩く途中で、金属製のハンガーをたわむれに引っぱたくシーンである。 ピンチの数々がジャラッと音を立てる・・・ 私の耳には、あの「高音」がひどく気持ちよかったのだ。 今。 そういう「高音」を聴かなくなって久しい。 しかし、聴きたくなれば・・・ 今の私はいつでも「高音」を作れる立場にいるから、常に「世界中を燃え上がらせてやる」ことが出来るのだ。 ・・・・・・ 友人と「鉄男」についてこんな会話をしたことがある。 「『鉄男』でマスをかけるか?」と友人。 「かけるとも」と私。 「劣情をもよおすシーンなんてあるのか、あれ?」 「劣情じゃねえ。マンコを思い浮かべるだけがオナニーのネタじゃねえんだ。俺は『鉄男』そのもので勃起するね」 ・・・・・・ 今日はここまで。
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