(仮)耽奇館主人の日記
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2004年12月10日(金) 愛に呑まれる、愛を呑みこむ。

家庭教師をしている教え子の一人、亀戸水神のお嬢さんは女子中学生だけあって、コイバナとなるともう犬のようにむしゃぶりついてくる。
自分が恋をするよりも、他人の恋の方が気になってしょうがないらしい。
「ねえねえ、先生、恋愛とエッチって別物なんでしょ?」とお嬢さん。
「そりゃそうさ。肉体と精神という言葉が生まれた時から別物だよ」と私。
「じゃあ、その・・・言葉が生まれる前は、一緒だったわけ?」
「昔はね、大昔は、肉体も精神もなかったんだよな。ただ、存在しているというだけだったんだ。ただ、生きているという、純粋な歓喜に満ちていたのさ。想像してみな、古代ギリシャの理想郷・・・アルカディアを駆け巡る乙女たち、それを追いかける半人半獣のパンやケンタウロス・・・彼らはいちいち、恋愛とエッチを分けていたと思うかね?」
「何か、エッチが恋愛そのものみたいな?」
「そうなんだ。本能的にヤリたいと思う、思われることが男女の結びつきだったんだよ。男が女を追いかけてモノにするという原始的な結びつき・・・これが、今じゃすっかり複雑怪奇になっちまって、目も当てられねえやな」
「色々考えちゃうからだよねー」
「その通り。例えば、女とヤリたいというてめえのことしか考えねえで、女のことはこれっぽちも考えてやらねえだろ。それでは、原始的な恋愛も成り立たないんだ。つまり、肉体と精神を分けちまった弊害だよな。肉体のみに集中して考えるから、今のような悲惨な状況になるわけよ」
「精神のみに集中してもいけないんでしょ」
「なおさらいけねえや。考えすぎてしまうからな」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「愛を呑みこむことだよ」
「えっ?」
「今の人間はね、愛に呑まれやすいんだ。恋は盲目とやらで、愛そのものに振り回されやすいのさ。それがプラスならいいけど、たいていはマイナスだね・・・嫉妬とか、猜疑心とか、憎悪とか。つまり、自分を見失うんだ」
「わー。何かやだなー」
「そうだろう。だけど、やっぱり、それでも人間は愛せずにはいられない動物なんだ。肉体的にも精神的にも。人間である限り、マイナスからは逃れられないよ」
「じゃあ、人間やめるしかないね・・・犬神先生みたく」
「おいおい。俺だって人間だよ。でも、人間はマイナスを克服する力はあるんでね、逃れられはしないけど、それを乗り越えることは出来るよ」
「それが愛を呑みこむ?」
「そう。仏教的に言えば、達観することだな。おおらかになることさ。自分を裏切った相手を憎まず、許してやる心を持つこと・・・これはなかなか出来ないことだけど、物事を大乗的に考えることが出来れば、だんだん精神的に力がついてくるよ」
「何か難しいこと言ってるー」
「ああ。ごめんごめん。要するにだ、俺たちは、古代ギリシャの考え方に回帰するべきだってことさ。肉体も精神もなかった、おおらかな世界にね。そこでは、愛も生きていることと同じ、純粋な歓喜なんだ」
「純粋な愛には憧れるけど・・・そういう相手には出会えるんでしょうか?犬神先生?」
「そいつは、君次第だ。君がこれから、どれだけおおらかな女になれるかによるね。いいかね、これは大事なことだからよく聞きなさい。君がろくでもねえ野郎としか出会わないとしたら、その野郎以上に、君自身が未熟だと思いたまえ。君自身がしっかりしていさえすれば、神様はちゃんとしっかりした野郎を用意して下さるよ」
世の中は恋愛難だという。
確かに、恋愛しにくい世の中ではあると思う。
だが、それでも、やっぱり、自分自身を磨きさえすれば、同じように磨かれた相手に恵まれるのは確かなのだ。
それぞれがどんなに辛い遍歴を重ねても・・・
自分自身を見失いさえしなければ、ちゃんとそれなりに幸せになれる。
世の若者たちよ、愛に失望するなかれ!
今日はここまで。


犬神博士 |MAILHomePage

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