ノーエの日記

2004年06月16日(水) 生と死の境界。

ちょっとテーマが重いので、アンニュイな人とか、ヘビーな話はダメって人は読まないで下さい。
(反転しときます。念のため。笑)


自分が死に掛けた事が切っ掛けで、関心を持った臓器移植。
でも実際に身近に“脳死”という状態を見てのことではありませんでした。
今、親族ではありませんが、身近に“脳死”という状態を目の当たりにしています。
“脳死”は「生」か「死」か。
こればかりは“脳死”という状態を現実に目の前にして困惑は深まりました。
回復の見込みが全く無いのに、体温があり、排泄があり、髪や髭が伸びるのです。状態が悪化すると血圧は30代、脈も体温も機械が感知できなくなるのですが、心臓だけが動きつづけているのです。
家族の方は、最初“脳死”という状態が理解できず、一体これはなんなのだろうと、受け入れるのに戸惑っていました。
でも、今、「(他は殆ど死んだような状態であるのに)これほど心臓だけが強いのなら、脳死で移植というのは、いい方法かもしれない。」という言葉を親族の方の口から聞きました。

あっけらかんとして。

普通であれば物忌みとして避ける「死」ですが、“死”の覚悟を静かに促す時間は、非日常であるはずの死を日常の事のように話させます。

年を召された方が、自分の死について、本当に見事にあっけらかんと語る言葉を聞くのと同じような響きに、決してウェットにはならない人間の存在の儚さのような、愛しさと哀しさの混じったような感覚になりました。


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