喰いえるコトなど

グルメ?何それ?ウマイはウレシ、マズイはタノシ。
いわゆるひとつの食い意地日記

2007年02月11日(日) K-1 WORLD MAX 観戦・・・気(!?)

この数年、K-1 WORLD MAX を会場で観戦している。
何年度からだか正確に把握してないが、
小比類巻貴之の対戦相手がブルース・リーを思わせる
コミカルな全身タイツのような黄色コスチュームの選手だった時から。

昔なじみに誘われて、どんなもんだか試合に足を運んでみた。
当時の私は音楽の勉強を始めた頃で、
ちょうど頻繁に奇妙な不思議体験をするようになった頃だと思う。
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その大会の第一試合。
片方の選手入場時、私の頭に「負け」と、声とも言えない言葉が響いた。
試合観戦前、情報は一切入れずただ足を運んだ。
そして試合結果。その「負け」の選手は試合に勝った。
それでも私は何故かその勝ったはずの選手が「負け」だと強烈に感じ続けた。
私は、この手の自分の感覚は、極力ありのまま感じるようにしている。
「それを感じたからどうこうだ」といった判断はあえてしないようにしている。
現実はともかく、私が感じたという事実であるとだけ判断している。

なので、その時も
「また妙な感じが来たもんだ。彼、勝ってんじゃん。私ってどこか変(笑)」
と思うに止め、次の試合を観戦しつつ、
試合前に自分の中に来る「勝ち」「負け」の感覚と
実際の結果を照合して楽しんでいた。

そして第2試合の後だったか、第3試合の後だったか。
第1試合の勝ち選手の、試合による怪我が発表され、
彼の試合続行が不可能だと発表された。
トーナメントだったような気がするので
(格闘技のファンではないのでええ加減にしか記憶してない、笑)、
第1試合で負けと判定された選手が次の試合に進んだんじゃ無かったかな?
陳腐な表現を承知で言えば、彼は
「試合に勝って、勝負に負けた」という事なんだろう。


もうしてもうひとつ。
自分の感覚とすれ違った試合についての印象深い感覚がある。
(決して、試合内容が印象深い訳でも興味深い訳でもない)
前々回大会の小比類巻貴之vs魔裟斗。
この大会では、開幕での選手入場時に、
小比類巻貴之が登場した段階でケタケタ笑えてしまい、
私の口から自然と「強いなぁ」と声が出てしまっていた。

私は小比類巻貴之を入口に観戦するようになったが、
試合に真摯で強くて、中身のある戦いをする選手が好きだ。
実際、アンディ・サワーは魅力的だと思うし、
小比類巻やサワー贔屓の私にとって、
ブアカーオは私が贔屓にするタイプではない選手ではあるが、
マトモに戦う時の彼には素直に敬意を表する。
今書こうとしている大会の前の大会で、
アンディ・サワーvsブアカーオの決勝戦、
判定で延長になってしまったのは本当にサワーに可哀想だった。
けれど。
あの判定直前のブアカーオは相当ボロボロのクタクタのはずなのに、
自分が元気である事を表現する為のテンションの高いパフォーマンス、
リングを飛び回る様子と、延長戦でのあの粘りには感心した。
実際あんな試合、ヨーロッパでは延長なんかにならず
判定の段階でサワーが優勝したんだろうと私は思う。
実はこの延長に持ち越す直前「イナフ」という声が私の頭に響いていたのだ。
あんな延長戦、悪戯に選手の消耗を誘うだけじゃないか?
正直、K-1 WORLD MAX では一部の判定員を除いて不公平さしか感じない。
人間だからある程度の好みが反映されて当然だと思う。
そうしたブレーキでいう遊び部分を差し引いても、
一部の選手に対して歴然と不公平で、1人の選手に対して歴然と有利だ。
もとい。

こんな具合に試合の進行、結果に関わらず、
個人的に感じる事実をも含めて
(あくまでも私にとっての個人的事実で、
情報操作される余裕のある現実では無いので混乱なきよう)
私は観戦をしているのだが。
前々回大会の小比類巻貴之vs魔裟斗。
試合は魔裟斗の勝ち。
妙に不自然な瞬発力のある1発のパンチが印象的な試合だった。
「ロボットみたいな動きで勝つんだな」これは私の個人的思考による感想。
いつもの突然の閃き、思考に関わらず頭に響く声でなく、
私の感情も交えた感想だ。
はじめて魔裟斗を会場で見た時からの、私の思考が及ばない
閃きによる彼に対する感覚は・・・あるけど、書けない。
そうして。試合が終わったというのに、
私には「小比類巻が勝ち」だと強烈に感じられて仕方なかった。
これがいつもの閃き、ただ漠然とそう感じる、
新聞だとかテレビを通してもっともらしく発表される現実ではなく、
私にとっての事実。
次の試合だか、次の次の試合の途中だかに
「別にいいよ」という声が頭に響いたかと思うと、
私の中の「小比類巻が勝ち」だという感覚は消えた。

私は小比類巻の試合が終わった後、大概、早々に会場を後にする。
たぶん、私の中のパフォーマンス好きな感性が、
私にとって見応えなさそう、私にとって意味がなさそうと判断するんだろう。
もちろん私にとってなので、内容の濃い試合を見落としてるかもしれない。
この日は自分の中に「小比類巻が勝ち」だという感覚が、
負けたはずの試合後にしばらく続いていた事もあり残った。
アンディvs魔裟斗の対戦で、アンディの楽勝。
アンディとブアカーオが決勝となったのだけれど、
その決勝の選手入場時にブアカーオから妙な気配を感じた。
ブアカーオからは何時も、仏教国タイ人らしい、
深遠な真空とも言うべき気配を感じるのだけれど、
それがやたらと膨張した感じで本人さえも戸惑っているような。
試合はブアカーオのKO勝ち。
「アンディの体力ロスが少なくて良かった」と
個人的思考に基づく感想を持ったのだった。





今回の2月5日の小比類巻の試合の判定。
毎度の事ながら絶妙に不利な判定に感じる。
延長なんかにする事なかったんじゃないの?
いつだかの試合ではレフリーの立ち位置が極端に悪くて、
全く小比類巻の動きが封じ込められていた事があった。
選手がそのタイプに合わせて、思う存分
実力を発揮できる空間を作るのもレフリーの仕事なんじゃないのか?
小比類巻が試合前から足を骨折していた事を大会側、中継テレビ側が
知らない事は100%あり得ないだろう。
アンディ・オロゴンはコヒ相手によく出場を了承したと思うけど、
発表されない巧妙で複雑なそれなりの理由がありそう。
現実として一時期派手に勝ち続けた選手に、
例えば、松っちゃんが辰吉丈一郎選手のファンだと公言していたように、
その真価を判断できる有名人が名を挙げないのはどういう事なんだろう。
プロレスの八百長について公言を憚らなかった故人、
中島らもさんが生きていらしたらなんとおっしゃったのだろう。



それから。ここから先は、お笑いとして。
私は頻繁にライブを聴きにいくんだけれど、観客として
上等で上質でカッコ良い音を聴くと、勝手に身体が反応して声が出る。
観戦の時は声を出さないよう心掛けていたんだけれど、
どうしてだか勝手に叫んでしまう時がある。
そうした時、もちろん応援する選手に声をかけるのだけれど、
ひょっとして・・・。
応援する選手もその対戦相手も私の叫びに反応してない?(笑)
ま、アレですな。例えば。
スマップなんかのライブに出かけて。歌舞伎観劇に出かけて。
彼等は誰に向かうでもなく自分の席方面に顔を向けただけで
「私と見つめあった」と思ってしまうその感覚な訳で(笑)。
もちろん、彼等は自分を応援する全ての声に答えようと真摯に戦うのだろう。
問題は。
対戦相手まで反応してる気がしちゃって(笑)。いやーね私ったら。
自意識過剰がここまで来たかと笑って下さいな(笑)。

それにしても。いやだわ。私、魔裟斗によっぽど嫌われてるのね。
いいの。私も魔裟斗は大ッ嫌いだから。
なんてちて。
魔裟斗が私を知ってる訳ナイじゃん(笑)。





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