| 2003年07月15日(火) |
小さい頃の記憶と豊かさ |
いつの時代でも生活を良くしたいという思いで熱意を持った人たちが いるからこそ成し遂げられることが多いものです。もちろんそこには 国や自治体のバックアップがあってこそできるという側面もあります。
戦後の日本は敗戦国であり、また途上国でした。 財政も貧弱で、世銀の融資がなければ国家プロジェクトが遂行される ことすらできませんでした。今日のプロジェクトXをご覧になった方は お気づきになったでしょうが、東京オリンピックが行なわれる前まで、 高速道路すらできていなかった現実があります。自分のかすかな記憶を 辿ると、昭和40年代の地方の国道はまだまだ砂利道でした。
自分の家は国道に面した家でしたが、当時の道には雨が降れば穴ぼこが あき、晴れれば砂埃の立つ未舗装道路で、今を考えると想像ができない ぐらいに車にも人にも劣悪な環境でした。小さい頃はそんな環境であっ ても、その環境しか知らないわけだから、それが悪いとは思いませんで した。むしろその環境に合わせて暮らしていたんでしょうね。
やはり生活範囲が狭いということは、外の世界を知らないことによる 不利益を被っていることです。しかし歳を重ねて情報量が増えてくると 自然と外の世界が見えてきます。そうなると今まで変わらなくてもいいと 考えていた今の環境に不満が募ってきて、こうありたいと思うように なります。それをどこに求めるか。他人に求めるのか自分でやるのか。 やはり地域の行政に求めることになりますね。この流れが大きくなると 世論となります。地域をより良くすることは国を良くすることに繋がり ます。ここに政治家の活躍する場ができます。
どん底の生活から這い上がってきた日本も、今では豊かさが飽和してきた 感じがあります。経済成長の底流には、より良くしていきたい、より良く ありたいという熱意から来ると思います。モノがなかった時代からモノが 飽和して、次に来るのはモノが要らない世界になるのでしょうか。モノが なくても充分生活していける暮らし。想像できますか?
武蔵は五輪書の中で、多すぎると思えるぐらいの道具を使える方が、使え る道具が少ないよりは遥かにいいと言っていますが、これは個人の力量の ことを言っているわけで、道具の多さを勧めているわけではありません。 物量が増えたからこそ、より個人の力量を上げろということを言っている ものだと理解します。
モノが増えたから生活が豊かになったというのは早計であり、そこに人間 そのものがついていかなかったら、それこそモノに振りまわされることに なりますので必要悪になります。人間も変化を求められる、つまり柔軟に 対応することが求められるということです。豊かさも時間が経過すれば 陳腐化していくのは世の常です。戦後から20年は物量が豊かさの証明 でしたが、今ではそれが時間に置き換わっていると思います。この次は 何になるのでしょうね。
まぁ色々と書いてきましたが、これは「豊かさとは何か」という問いに 繋がってくることですから皆さんもいろいろとお考えをお持ちでしょう。 物質からのアプローチと心からのアプローチではその方法が違いますから それぞれについて考えてみることにしましょうかね。いつかまた。
はい。今日は曇り。(東京地方)
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