しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2003年06月16日(月) 一読者の勝手なたわごと

読者というのは本当に勝手なもので、作者がどんな思いで書き上げたか
なんてことは一切お構いなし。紙面の文字にだけしか目がいかないから
思いが伝わるかどうかは読者の思い次第。だからこそコミュニケーションが
欲しいわけで、作者としては読者の気持ちを伝えられるのはうれしい行為
だと思うんでしょうね。その気持ちが批判的であっても好意的であっても。
この日記を書いている自分も普段は読者側の立場ですから、読んだら読んだで
作者に感想を述べることにはしているんですけどね。(但しコトウさんのみ)

さて、ようやく池袋ジュンク堂で「千人祈」を購入しまして、早速帰りの
電車の中で読んでみました。いやぁ、細かいことは別の機会に譲るとして
なんとまあ「反戦」とか「戦争」という言葉の軽いこと。

自身に害の届かないところで行われているから言える言葉なんだろうと
思いつつ読み進めましたが、中でも多いのが疑問型。切り捨てるような
言葉は意外と少ない。これはどういうことなんでしょうか。

やはり実感が沸かないながらも血の流れる戦争そのものには反感を覚える
からでしょうね。戦争そのものしか見えないから、その背景となるものが
何なのか、その根底に流れる怒りとは何かを考える前に、事象だけを捉え
ているからに他ならないと自分は思います。

ただ、こういう声というものは今まで形となって人目につくことはなかった
わけですし、声を上げることをためらった人でも文字にして参加できること
を実感できる機会を与えたという功績は大きいと思います。しかも掲示板
に留まらず、書籍となって一般書店の店頭に登場したわけですから、少なく
とも、今回のイベントに参加した人、これらの言葉や行為に反感を感じた人、
あるいは編集者諸氏にとってはいい刺激になったのではないでしょうか。

忘れてならないのは、反戦行為というのは戦争行為に対するアンチテーゼ
ですから、これがマスになってしまってはいけないということです。あく
まで均衡しているからいいバランスを保つわけです。マイナーでいいんです。

建前のない戦争はないわけですから、もしそのあたりで論理的な説明がなさ
れることがなければ、そこを突けばいいのですから、これは反戦というより
政治的な対抗ということになるでしょう。

狭義の戦争というものは、やはり政治的な意味合いが大きいわけですから、
これを本当に大きな声にしてしまえばどうしても思想的な観点から考えて
しまいます。そうなると心の底から発する本心をひとことというわけには
いきません。国体に隠れて底辺にある叫びが見えなくなってしまいます。

せめて国家に対抗する個人という図式にはなりたくないもんです。
(実はこの図式は避けられないんですけどね。)
こういう地道な行動の積み上げが大事です。編集者諸氏、おつかれさん。

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東京地方)


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