しむちゃんのつれづれ日記
文字サイズは「中」が最適なようです。

2003年03月15日(土) 感受性が・・・・ない?

あー疲れた。
今日は夜の7時から劇団Beans第15回公演「ピルグリム」の日。
愛知県は扶桑町まで出かけてきました。

休日の交通機関嫌いな自分は車で出かけたわけですが、距離的に
400kmぐらいなので東名使って5時間ぐらいかなと予想して
いましたが、30分程度ビハインド。土曜の午後の環八は渋滞。
年度末の工事が行われていることを忘れておりました。

まぁ、そんなこんなで開演15分前に到着。
今回は観客席が広く取ってあり、余裕のある座席数と配置。
見る側の配慮がなされていました。というか、演出のせいだろうか、
観客席へ役者が降りていくことがそうさせたんでしょうかね。

ここの公演は何回か見せてもらっていますが、自分としては最初に
観た公演が一番インパクトが強かったような気がします。だんだん
当たり前に見ていると、いつもの役者がいつもの調子で役柄を演じ
てくれることを期待してしまって、演題が違った公演でも同じような
舞台を期待している自分がいます。これって主催者からすると思惑
違いだよね。いつも新しいものを見せようとがんばっているのに。

「ピルグリム」とは英語のpilgrimのこと。訳は「巡礼者」。
「巡礼」というと宗教色が強い言葉ですが、舞台「ピルグリム」は
そんな色は見えません。舞台を見た自分の感覚としては、strayとか
wanderとかいった感じで、日本語の「巡礼者」というより「彷徨い人」
と言った方がしっくりいくかも。何かを捜し求めるために・・・。

pilgrimで思い出すのが、なつかしのゴダイゴが歌ったMonkey Magic。
2番の歌詞の中に"pilgrimage west"という言葉が出てきます。
西蔵法師が西(インド)へ向かって旅をした「西遊記」ですね。
(天竺はインドと言われておりますが、自分にはネパールのイメージが
どうも強いんですが・・・。)

要するに巡礼とは自分の心にある何かを捜し求めるために試練を受ける
ということを、旅をしながら経験するということではないでしょうか。
試練を受けるということは簡単には捜し求めることができない、手に
入れることができない。それだけの価値があるということです。

舞台では「オアシス」を探しておりましたが、これは自分の中にある
オアシスが何なのか。自分にとってのオアシスとは何なのか。そんな
ことを普段は意識もしていないのに無意識に探しているということを
「見える」自分と「見えない」自分というふたりの自分のはざまで
常にバランスさせているから今の自分があるという表現だと感じ取り
ました。どちらかが欠けても今の自分を保てない。精神的なものだから。

文字で書けば舞台で演じられていたことに納得いくんですが、観ている
最中、あるいは直後にはそのあたりのことが伝わったかというというと、
決してそうではなかった。自分にはね。他の人がどう受け止めたかは
知りませんけど。アンケート用紙にはそのことを正直に書きました。

前述したように、今回の舞台はインパクトに欠けました。
ということは、見てくれの印象ではなくて、伝えたい内容を重視して
いることの裏返しかもしれない。そう思うと悪いことを書いたかも。
いやぁ、思考能力の浅はかなヤツだということで許して下さいな。
そうではなくて、感受性の問題かな。なおさら悪いなぁ。>自分

はい。今日は曇りところにより一時雨。(東海地方)


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