「公共性」という言葉にどういうイメージを持ちますか?
英語で"Public Company"というと、これは公益企業とか慈善事業 とかいうことではなく、企業情報を公に晒している会社、つまり 株式会社のことです。市場性のあることを"public"というのです。
逆に"Private Company"というのは個人店舗なんかがそうでしょう。 個人のリスクで運営している会社ですから儲けも個人、倒産した 時の負債も個人。株式会社の場合は株式ホルダーが利益も損失も 被るという点で当事者だけでなく投資家にもリスクを分散させて いるところが、あるいはそれが流動的であるところが公共性です。 損失といってもその株式の範囲だけだから有限責任というんです けどね。
さて、この公共性を経済政策の点で言うと、不良債権処理における 銀行の立場を「公共的」であるがために国の介入(つまり公的資金 の注入)を強制的にやるべきかどうかという議論。
銀行は私企業だから国が介入するのはやり過ぎだとするのは、この 「公共性」という観点を無視した考えではないでしょうか。立場が 変われば言い方も変わるんでしょうけどね。当事者からするとこう 言われればたまったもんじゃない。
日本語の「公共性」とは、ややもすると国や地方自治体のことを 指すようにも感じますが、ディズニ―ランドや東京タワーやお台場 なんかも公共的だとするならば、それにあらずですね。要するに 区分としては「官」と「民」ではないんです。どれだけ多くの人が 有用性を感じ、利用しているかということです。
公共機関の典型は交通手段です。電車・バス・飛行機。 それに対して自家用車、バイク、自転車、ジェット機、ヘリなんか はプライベートです。個人のための交通手段ですから。
金融機関は多数の個人・企業・自治体・国に対して決済という経済 基盤を持つという役割を演じていますから、その機能自体が公共性 を持っているわけです。社会的な影響が大きいんです。金融インフラ という意味でね。だから1企業の勝手で倒産してもらっては困るん です。だから国の関与を許すことにしなければ公共性を守ることが できなくなるかもしれないんです。その影響の大きさ故にポイ捨て できなくなっているのが今の金融機関です。特にメガバンクがね。
1企業の論理としては国の関与を拒否したい気持ちはわかりますが、 その社会的な役割を考えると、1企業の勝手が許されないわけです。 ある意味、一般人と芸能人の関係と似ているかもしれません。
1企業の信用不安と1銀行の信用不安ではその影響の大きさが比べ ものにならないのはお分かりのことでしょう。だから介入を良しと するわけです。介入をするということは結果的に助けることになる わけですが、あくまで金融機関を助けるだけで、その組織を構成する 従業員も助けるわけではありません。そこが再生と介入の違い。
介入が必ずしも正しいとは言えませんが、倒産リスクのないことが 理解されると、金融不安を引き起こすことは無くなります。少なく とも預金の取り立て騒ぎは起こらないでしょう。パニック回避と いう観点からも、より信用の置ける国が介入して預金を保護して くれることになっていれば安心して預金ができるというもの。
公共性があるために公的資金を投入してパニックを回避する。その 手法については議論のあるところでしょうが、金融不安による負の 連鎖により需要の低下を引き起こしているということも頭のどこか に入れておく必要があります。金融機関に対する信用の低下です。 個人向け国債が売れているのもそういうことでしょう。ただ、その 当事者である国の信用が低下しているのが不安材料だから、多量の 国債を保有する金融機関は国債の価格下落(金利上昇)リスクを 持っているわけですから、それだけでもただごとじゃないんです けどね。何かあっても落ち着いて対処しましょう。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
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