| 2002年12月13日(金) |
問題解決型と問題提起型 |
田原総一郎氏は、「従来の問題解決型より新しい問題提起型への変化が必要」 と言います。あらかじめ想定された答えを導き出す今までの解決法は通用 しなくなり、これからは答えの分からない状況の中でいかに問題を提起して いけるかが大事だ、と。
問題解決はどちらかというと受け身で、問題提起はどちらかというと積極的。 目の前の問題をどう解決するのかが問題解決型。 問題が見えない状態で、問題を発見してそれを提起するのが問題提起型。
問題を提起しても、それを解決していかなければ言いっぱなしです。 問題を提起して解決するのが理想です。だから問題解決型と問題提起型は 対角線上にあるものとは思いません。問題提起の延長線上に問題解決がある と思っています。
ただ、どこに問題があるのかが分からなければ、せっかくの解決能力も 生かすことができません。一方ではどこに問題があるのか分かっていても 問題を解決できなければ困りもんです。
議論の提起は現在の日本の状態を例えたもので、問題解決型に対する批判 とは、従来の学歴エリートに支配されてきた官僚や政治家に対する批判です。 従来の手法で解決してきたことが今やどうしようもない経済状態、つまり 破綻寸前まで至らしめてしまった人たちへの批判です。
問題提起型を求めるのは、こういった学歴エリートには持たない違った見方 (あるいは変わったと言ったほうがいいかも)をする人たちが学歴エリートの 目には見えない問題を発見する可能性が高いと言っているかもしれません。
今や予見された結果が見えなくなっています。 景気回復のために重ねた借金が700兆円(一説には1,000兆円)も あることのつけを国民の1,400兆円の預貯金に求めるというあまりにも 情けない結果になっているのです。せっせと貯めた国民の財布が一気に消えて しまうかもしれないのです。景気が落ち込んだ問題の解決に取り組めなかった 結果がこれですから、いわゆるエリートたちの問題解決能力が無いことを 意味しているものと思われます。
問題の本質は何か。これをきちんと捉えることによって処方箋が変わってくる ことは誰にでも分かります。あえて分かろうとはしなかった面もあるように 見えますが、そんなことはいい訳であって、結果が伴わなければ意味が無い。 そんな人たちにわれわれの税金が投入されているわけです。どこかが狂って いると思いませんか?
小泉首相が構造改革を掲げたのも、小沢一郎の二番煎じでも変人だからでも ありません。彼の素直な思いとして、今の日本はどこかがおかしいと感じた からであって、例え自民党の同僚から叩かれようがめげないのは、そこに 発端があったからだと思います。
ただ、具体策が彼の口から出て来ないのは、そのおかしさが何なのかはっきり 彼の頭の中に無かったからではないでしょうか。そこが彼の本能的な直感で あって、傍から見ると変人にも見える所以なのでしょう。だからそれらを 具現化するには時間がかかります。見渡すとあまりにも多くのことが氾濫して いて、収拾がつかなかったかもしれませんから。
とはいえ一国の首長ですから、具体像を国民にわかりやすくメッセージとして 伝えていくことが彼の政治生命を延ばすことにつながります。政治家ですから それがなければ国民もついていきません。彼に欠けているものは、そういった メッセージを伝える能力ではないだろうか。
裏で見えない努力をしていても、表で見えなければマスコミや周囲の政治家の あらぬ風評にわれわれが流されてしまう危険もあります。だから自身の活動を 正しく伝えていく努力が必要です。出しているメッセージを広く国民に知って もらうことをしなくてはいけません。「小泉内閣メールマガジン」なるものが 発行されておりますが、さほど認知されていないように思えます。内容も あんまり面白いとは思えません。(読んでるけどね)
今までなら考えられなかった人事をしている小泉内閣。 世間では1年たっても何ら変わらない。あるいは更に悪くなっていると言う人 もおりますが、これらの人は彼の非常識な行動を快く思っていない人たち。 いわゆる従来の保守派であり、バブル崩壊の対策を誤った人たちです。だから こんな人たちの言うことは聞かずに方針は貫いて欲しい。心からそう思います。
そういう意味で、小泉純一郎は問題提起型の範疇と言えるでしょうかね。 潰されないためにも早いとこ実行に移してね。
はい。今日は晴れときどき曇り。(東京地方)
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