千穂ちゃん(ニュースステーションで久米宏の左に座っている上山アナです) はいいねー。(笑)
ま、それはいいとして、経済学派には大きく分けて古典派とケインズ派が あります。レッセ・フェールを標榜して市場は徹底的に自由放任すべきと 主張する古典派。それに対して政府による有効需要創出(つまり政府の介入) の必要性を説くケインズ派。
どちらがどうだなんて、そのときどきで都合のいいように使われるだけ。 でも知っているのと知らないのとでは大きな違いです。なんで政府が構造 改革を声高に叫んでいるのか、不良債権処理がなぜ進まないのか、どうして おとーちゃんの給料が下がるのか、マクドナルドのハンバーガーはなんで 安くなるのか、田中康夫が脱ダム宣言をするのはなんでか、日本の公定歩合は 人類史上最低なのになんで消費者金融が横行するのか、年金がもらえるとか もらえないとかなんでそうなのか、なんでバブルははじけたのか等々・・・。
すべてがふたつの理論で説明がつくというわけではありませんが、説明が つかなくとも、これがどういう意味を持っているのかという自分なりの 理解はできるはずです。なーんにも知らずにただ目の前の現象に手を拱いて いるだけではそれこそ不安です。この先どうなるのか予想すらできないから。 予想したとしても根拠のないタダの空想にしかなりません。
マルクスの言葉を借りると、 経済には人間の手によって変えることのできない法則性がある。モノの価格、 経済の動きは「需要と供給によって決まる」という法則がある。
この法則性について供給こそが需要を作る。すなわち「供給によって需要は 決まる」と主張するのが古典派。一方「供給によって需要が決まる」として いるのがケインズ派。経済の動きを読むための基本的で最も重要な理論を 提示しているのが古典派とケインズ派であるということです。
古典派の基本思想であるレッセ・フェールは、ジョン・ロックの哲学である 人間はあるがままの自然人とし、国家が経済に口出しする権利はなく、国家は 自由人である国民に奉仕するためにあるものだというところが源泉。
ケインズの理論はその古典派へのアンチテーゼとして生まれたもの。 古典派の大家であるマーシャルの門下生でありながら、マーシャルの研究成果と 古典派理論のほころびを切り付けて同じマーシャル門下生のピグーからは 「月に向かって吠えるようなものだ」とこき下ろされながらも勝負はケインズの 勝利に終わったといいます。
アダム・スミス、リカード、ベンサムなどもいますが、やはり根底にあるのは 彼らの哲学。その前にはバーナード・ベンサムがいまして、彼の著書である 「蜜蜂物語」の蜜は贅沢、それがベンサムの快楽になり最大多数の最大幸福を 導き、それが「神の見えざる手」によりおのずと実現されることを発見したのが スミス。そのスミスの思想を科学的に再構築し完成させたのがリカード。
昔の思想が今も通用するかどうかというのは疑問のあるところでしょうが、 でもその哲学は人間の本質を突いていると考えれば、人間の行動は時代の変化 により変化しない限り、本質も変わらないから理論的にも通用するということ でしょうか。哲学はある意味思い込みですから、わたしには難しくてよく 分かりません。なんだか理屈をこねくり回しているようで。(笑)
人が生活するため(食べていくため)には何らかの経済活動をしなくては なりません。例え道端で放浪している人であっても何らかの経済活動をして いるもんです。そんな経済活動をなにげに見過ごして暮らすのか、意識しな がら暮らしていくか。贅沢で平和な日本にはこの意識が欠けているのかも しれませんが、ガングロで街を闊歩していた女子高生たちにはなーんにも 関係なかったようで失礼しました。金子勝氏は彼女らは人類が死滅しても 生き残る人種だと言っておりますから、逆に考えないほうがいいのかもね。
いや。あくまで笑い話ということで。あはは。
はい。今日は晴れ。(東京地方)
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