『日々の映像』

2009年06月07日(日) 足利事件―DNA一致せず冤罪に発展

報道
1、足利事件:検察側、再審で無罪求める公算  毎日 2009年6月4日
2、社説 足利事件―DNA型一致せずの衝撃  2009年6月5日 朝日
3、社説:足利事件 DNAの功罪見極めて   毎日 2009年6月5日 
4、社説 冤罪足利事件は何を訴える(6/5)    2009年6月5日 日経

 刑事・検察の行動は国家権力である。
足利事件は国家権力が引き起こした冤罪である。
重大な事件であるので、主要な報道・見解(社説)を収録して置きたい。


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1、足利事件:検察側、再審で無罪求める公算 異例の展開へ
毎日新聞 2009年6月4日
 釈放された菅家さんは今後、再審開始決定が出た場合、最初に無期懲役判決を言い渡した宇都宮地裁で再審を受ける。検察は高裁に提出した意見書で再審開始に反対しておらず、再審では無罪を求める公算が大きい。過去に無罪を得た重大事件の再審では多くの場合、検察が再び元の有罪判決を求め被告と争っており、今回のケースは異例ずくめの展開をたどりそうだ。
 91年の逮捕から17年半の長い拘置・服役生活を送ってきた菅家さんは、無罪が確定すれば、名誉回復のための手続きを取ることができる。刑事補償法は無罪判決を受けた場合、拘置や懲役の日数に応じ1日1000〜1万2500円の補償金を支払うと規定している。
 さらにこれとは別に逮捕や起訴そのものが違法だったとして国家賠償法に基づく損害賠償を求めることも可能。ただ「松山事件」(1955年)で死刑確定後に再審無罪となった男性が起こした国家賠償請求訴訟では「逮捕や起訴まで違法だったとは言えない」として訴えは認められなかった。
 また、菅家さんは45歳で逮捕され現在は62歳。制度や法律に基づき金銭的な補償を十分に受けても、長期間離れていた社会生活への復帰に時間がかかるとみられる。
 一方、事件当時、殺人事件の公訴時効は15年(05年から25年)。90年の事件発生から19年が経過しており、宇都宮地裁での再審請求中に時効が成立したことになる。このため真犯人が判明しても起訴はできず、事件の真相は明らかにならない可能性が高い。被害者の遺族が民事訴訟で真犯人に損害賠償を求めることしかできない。【石川淳一】
 ◇「支援惜しまない」日弁連会長
 日本弁護士連合会の宮崎誠会長は4日「検察が再審開始を容認し、身柄を解放したことは高く評価する。完全無罪判決を勝ち取るまで支援を惜しまない。本件は冤罪(えんざい)者でも容易に自白に至る現実を改めて明白にしたもので、取り調べの全面可視化の要請は一層強まった」との談話を出した。
 ◇「重く受け止める」警察庁長官
 吉村博人警察庁長官は4日の定例会見で「警察庁としてこの判断を厳粛に重く受け止めている」と述べた。そのうえで、吉村長官は「多角的な捜査を積み上げた結果ではあるが、いずれにせよ今後行われるであろう再審公判の推移を見ながら、捜査上の問題点について適切に対処していく必要があると思う」と話した。
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毎日新聞 2009年6月4日 21時59分(最終更新 6月4日 22時19分

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2、社説 足利事件―DNA型一致せずの衝撃
                       2009年6月5日  朝日
 がくぜんとする。刑事裁判の歴史にまた汚点が加わることになりそうだ。
 栃木県足利市で1990年、4歳の女児が殺害された。警察は幼稚園バス運転手だった菅家利和さんを逮捕した。その菅家さんがきのう、逮捕から17年半ぶりに釈放された。
 逮捕の決め手となったのは、捜査に導入されてまもないDNA型鑑定だった。被害者の衣服についていた犯人の体液と菅家さんの体液の型が一致したとの鑑定結果が出たのだ。
 取調官から鑑定結果を突きつけられ、菅家さんは犯行を自白したという。一審公判の途中で「DNA型鑑定で虚偽の自白を迫られた」と否認に転じたが、一審も二審も最高裁も、DNA型鑑定と「自白」の方を信用して有罪とし、無期懲役の判決が確定した。
 獄中の菅家さんと弁護団は再審を請求し、再鑑定を求めた。事件当時は千人に1.2人を識別できる程度だった鑑定の精度が、いまでは4兆7千億人に1人にまで向上しているからだ。
 東京高裁が依頼した再鑑定の結果は一転して、犯人と菅家さんのDNA型は一致しないというものだった。
 東京高検は、この結果が「無罪を言い渡すべき証拠に当たる可能性が高い」との意見書を東京高裁に出した。高裁は早く再審決定をするべきだ。
 衝撃的な事態である。DNA型鑑定は多くの事件で実施されてきた。初期の鑑定の信用度が揺らぐ影響は計り知れない。92年に福岡県飯塚市で起きた女児2人殺害事件では、DNA型鑑定が証拠となって死刑判決の確定した男性が昨年、刑を執行されている。
 再審請求の裁判でDNA型を再鑑定したのは異例だ。この際、DNA型鑑定で有罪となったほかの事件についても再鑑定を実施すべきではないか。
 精度があがったとはいえ、DNA型鑑定だけに頼り過ぎるのは危うい。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある。警察はDNAを適正に採取するだけでなく、将来再鑑定できるだけの分量をきちんと保管することを徹底してほしい。
 裁判所にも猛省を促したい。DNA型鑑定を過信するあまり、無理やり引き出された「自白」の信用性を十分検討せず、有罪との判断に陥った面はなかったか。再審裁判ではこの点を厳しく検証しなくてはならない。
 自白の強制を防ぐためには、取り調べの可視化が重要だ。取り調べの録画は一部にとどまっているが、すべての過程の録画が必要だ。このことを今回の問題は改めて示している。
 プロの裁判官といえども判断を誤ることがある。私たち国民も法廷や評議の場に裁判員として参加する時代になった。常識を働かせて自白や証拠を遠慮なくチェックする。その責任の重さを思う。

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3、社説:足利事件 DNAの功罪見極めて
                   毎日新聞 2009年6月5日 0時03分

 科学捜査の最先端を行くDNA鑑定によって投獄され、同じDNA鑑定でえん罪が晴らされる、という数奇で皮肉な経過をたどることになりそうだ。19年前、栃木県足利市で4歳の女児を殺害したとして、無期懲役刑が確定して服役していた菅家利和さんのことだ。
 東京高検は再審裁判を待たずに刑の執行を停止し、異例の釈放に踏み切った。犯人とは別人とするDNA鑑定が出た以上、妥当な判断だが、有罪が確定する前にも救済の機会があっただけに、拘置、服役が17年にも及んだことが悔やまれる。捜査当局はもちろん、裁判所の関係者も猛省しなければならない。再審裁判を急ぐべきは言うまでもない。
 この事件は導入後間もないDNA鑑定が逮捕の決め手になったことで注目され、最高裁が初めて証拠価値を認めるケースともなった。だが、初歩的な捜査ミスも目立った。供述した殺害方法と被害者の解剖所見が食い違ったほか、菅家さんは別の2件の女児殺害についても犯行を供述し、検察で不起訴となっていた。自白の誘導を疑うべきなのに、警察も検察も、裁判所も見逃した。
 見込み捜査で容疑者を割り出し、自白を迫る。自白すれば、「真犯人でなければ認めるはずがない」と決めつけて捜査が自縄自縛に陥る……。えん罪事件の“お定まり”のパターンだが、本件でも捜査機関と司法府の自白偏重主義が災いした。しかも、当時のDNA鑑定は精度が低いことを承知していながら、重視し、自白を引き出す材料にもされた。
 DNAは万能ではない。不一致が無罪の証明となっても、一致が有罪の証拠とは限らない、と考えねばならない。技術が向上し、精度が格段に高まった今も、過信は禁物だ。米国では多くの死刑囚を死刑台から生還させたが、一方で微量での鑑定が可能になったため、別人のものが紛れて新たなえん罪を生む危険が指摘されている。足利の事件当時と同じ鑑定方法で多数の有罪判決が下され、死刑を執行された元被告もいるという由々しき問題もある。鑑定の検証や証拠の見直しを急ぐ必要がある。
 上告審の段階から弁護側が菅家さんの毛髪を鑑定してDNAの食い違いを主張していたことも、忘れてはならない。裁判所が疑問を抱き、再鑑定を行っていれば、釈放時期は早まったはずだ。この間、殺人罪の時効が成立し、真犯人検挙の機会が失われたことも見逃せない事実だ。
 裁判員制度がスタートした折、誤判の恐ろしさをまざまざと見せつけられたことを、私たちはせめてもの教訓とすべきだろう。人が人を裁くことの難しさをかみしめ、公正な判断力を培うことを心掛けたい。
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足利事件:菅家さん17年半ぶり釈放 検察側が意見書提出
毎日新聞 2009年6月5日 0時03分

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4、社説2 冤罪足利事件は何を訴える(6/5)
                          2009年6月5日 日経
 これは冤罪(えんざい)だった――そう検察当局が認めた格好で、無期懲役囚を釈放した。まったく異例の出来事だ。19年前に栃木県足利市で女児が殺された足利事件の再審請求を巡る東京高検の判断である。

 一審から最高裁まで有罪とした裁判で有力な証拠になったDNA鑑定を、再審請求の抗告審(東京高裁)でやり直したところ、元の鑑定結果が覆された。東京高検はこの再鑑定結果が、再審を始める条件の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たると自認した。

 再審が始まっても検察は争わないわけで、遠からずこの無期囚は無罪の言い渡しを受ける。それならば一刻も早く冤罪の獄から解放するのは当然だが、従来の検察の姿勢からすれば思い切った判断といえる。

 足利事件当時、DNA鑑定の正確性は現在に比べ格段に低く、1万人のDNA型を調べれば12人が同一人と判定される程度の精度だった。

 それでも証拠として評価されたのは、捜査段階で犯行を自白する供述があったからだ。自白は信用できると証明する証拠の一つとして、DNA鑑定は扱われたのである。

 裁判所は、一審の途中から無実を主張し始めた被告人の法廷証言よりも、鑑定結果などを補強材料にして捜査段階の自白を信用した。

 精度が低かったDNA鑑定に依存したのが、冤罪を生んだ直接の原因なのは間違いないが、根底には検察、裁判所に残る「自白は証拠の王」式の考え方がある。

 先に始まった裁判員制度では「法廷で見て聞いて分かる」証拠で有罪、無罪の判断をする。「自白は証拠の王」式の考え方では裁判員裁判はできないのだから、自白偏重の弊は捜査段階から改めなければならない。これが足利事件の訴えるものではないだろうか。

 また、1990年代以降、再審の門戸を狭める裁判所の判断が目に付く。足利事件も、抗告審前の宇都宮地裁はDNA鑑定をやり直さないまま再審請求を退けた。再審請求の審理でも「疑わしきは被告人の利益に」が鉄則だ。裁判員になる一般国民が「なるほどこういうのが被告人の利益ということか」とうなずける判断を裁判所にはしてもら


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石田ふたみ