『日々の映像』

2008年08月28日(木)  非政府組織はアフガンから撤退すべきである。

 フガニスタンで拉致された非政府組織「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)は、捜索が再開された27日午前(現地時間)、遺体となって現地の渓谷で見つかった。5年にわたり、乾いたアフガンの大地に水と緑を与えてきた若者の善意に対するあまりにも非情な仕打ちである。しかし、これはこちらの理解の仕方で、反政府組織は「全外国人が標的」「前外国人がアフガンから出て行くまで戦う」という思考なのである。非政府組織「ペシャワール会」は、意義深い事業から今後も撤退する意思のないことも強調している。しかし、これは余りにも無謀である。犠牲者の増やすだけの結果に終わると思う。
 
アフガン邦人拉致:伊藤さん遺体確認(その2止) アフガン5年、無残
◇ 中村医師「状況認識甘かった」
2008年8月28日 毎日新聞
アフガン邦人拉致:伊藤さん遺体確認(その1) 「大地に緑を」、志半ば
 ◇「善意」に仕打ち非情 ペシャワール会「撤退せぬ」
                     2008年8月28日 毎日新聞
伊藤さん殺害 打ち砕かれた「善意」 父親沈痛「まだ受け入れられない」
 8月28日8時  産経新聞
アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的 
 08/27 23:38 i  共同通信
いずれ狙われる…不安は的中した アフガン拉致・殺害
                    2008年8月27日  Iza


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アフガン邦人拉致:伊藤さん遺体確認(その2止) アフガン5年、無残
◇ 中村医師「状況認識甘かった」
                   2008年8月28日 毎日新聞
 【バンコク藤田悟】伊藤和也さんが所属したペシャワール会の現地代表、中村哲医師(61)は27日夜、滞在先のバンコクから、伊藤さんが被害に遭った現地へと向かった。中村さんは「伊藤君は現地の人たちに好かれ、住民に完全に溶け込んでいた。彼は大丈夫だと思っていたが、私の状況認識が甘かった」と肩を落とした。
 中村さんによると、伊藤さんは頭と足に銃弾を受けており、「犯人が彼を連れて逃げる途中、銃で撃って殺害したようだ」と言う。伊藤さんは現地に滞在する約10人の日本人スタッフのうち、農作物担当のリーダーで、乾燥に強い作物の栽培を試行。サツマイモの普及に見通しをつけたところだったという。
 同会では治安悪化を受けて、20人いた日本人の半分を4月までに帰国させ、伊藤さんら残る10人も年内に帰国する予定だった。事件を受けて、早ければ月内に帰国するという。会の事業は現地のアフガン人だけで続ける方針で、「骨を埋めてもいいという決意だった彼の遺志を継ぎたい」と話した。中村さんは犯人グループについて「外部から来た強盗のようなグループではないか」と述べた。
以下省略
http://mainichi.jp/select/world/news/20080828ddm041040099000c.html


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アフガン邦人拉致:伊藤さん遺体確認(その1) 「大地に緑を」、志半ば
 ◇「善意」に仕打ち非情 ペシャワール会「撤退せぬ」
                   2008年8月28日 毎日新聞
 アフガニスタンで拉致された非政府組織「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)は、捜索が再開された27日午前(現地時間)、遺体となって現地の渓谷で見つかった。5年にわたり、乾いたアフガンの大地に水と緑を与えてきた若者の善意に対するあまりにも非情な仕打ち。無事救出を祈ってきた仲間は深い悲しみに包まれたが、意義深い事業から今後も撤退する意思のないことも強調した。【朴鐘珠】
 27日午後2時過ぎ。「伊藤君をよく知る現地の村人が身元を確認しました」。ペシャワール会の本部が入る福岡市中央区のマンションで、そう切り出した事務局長の福元満治さん(60)は両手を握りしめ、怒りで顔がこわばっていた。
 会見は約1時間に及び、現地のスタッフから、現地代表の中村哲医師(61)を通じてもたらされた情報が明らかにされた。福元さんは「最悪のことが、起こってほしくないことが、やっぱり起こった」と語り、中村医師が静岡県掛川市の伊藤さんの実家に「遺体発見」を知らせたことも告げた。
 事件が報じられた26日午後から繰り返された記者会見。それまで冷静さを失うことのなかった福元さんの声が一段と大きくなったのは、政情不安が高まるアフガンで、活動を続ける是非を問われた時だった。「ここで挫折しては絶対にだめだ。非難の声は甘んじて受けますが、これでやめると日本人はだめになる」。ほおには悔し涙がこぼれていた。
 伊藤さんの訃報(ふほう)を伝えてきた中村医師は電話口で「良くない方の推測になった」とつぶやいたという。誤報であってほしいと願う半面、遺体を確認したのが現地の村人だったと聞き、希望は絶たれた。5年間、共に畑で汗を流した伊藤さんの顔を、村人が間違えるはずはない。その後、ペシャワール会のスタッフも身元確認をしたという情報も入り、望みは打ち砕かれた。
 現地スタッフは、拉致された伊藤さんを捜索するため、1000人もの村人が山を登ったことを伝えてきた。その話をした福元さんは「伊藤君、つらかったなと。でも君はやったなと、そう言ってやりたい」と語り、一瞬救われた表情を見せた。
 ◇「まだ受け入れられない」−−静岡の実家
 「正直、家族はまだ受け入れられない」。アフガニスタンで活動中に拉致された静岡県掛川市杉谷の伊藤和也さん(31)の父正之さん(60)は27日夜、外務省から遺体確認の連絡を受けた後、コメントを発表した。妻順子さん(55)とともに自宅で息子の無事を祈り続けたが、かなわなかった。
 正之さんは午後4時半ごろ、自宅近くで会見に応じ、「(和也さんは)向こうの国のために一生懸命やってきたのに、何でこういう結果になるのか。やりたいことの心半ばにも行っていないだろうに。本人も悔しいと思う」と肩を落とした。だが、この時点で外務省は現地で発見された遺体の身元を確認しておらず、「あきらめてはいない。家族としては当然だ」と気丈な面も見せた。
 夢だった途上国での農業指導。その途中、突然の拉致事件に遭った和也さん。犯人グループについて正之さんは「自分の国のため、一生懸命良い国にしようとやってきた人間に、本当にこんなことをするのか……」と絶望の表情も浮かべた。
 午後2時半ごろに正之さんを訪ねた戸塚進也・掛川市長によると、順子さんは26日夜にいったん「無事解放」との誤報があったため、大きく落胆していると聞いたという。【大西量、稲生陽】
 ◇高校卒業時に「夢」−−生徒会誌に一言残す
 夢−−。伊藤和也さん(31)が95年春に静岡県立磐田農業高校を卒業する際、記念として作った生徒会誌に残した一言だ。寡黙でまじめだったという伊藤さん。どんな夢を思い描いていたのだろう。
 同級生だった男性(31)は「将来は青年海外協力隊に入って、外国で活動したいと話してくれたことがあった。進学も決め、海外研修にも参加していた。それが夢だったのかな」と振り返る。
 アフガニスタンに渡って地道な農業支援を続け、現地の子どもたちに慕われるまでになった伊藤さん。夢は実現したのだろうか。
 2、3年時の担任だった青島一弘教諭(44)=同県磐田市=は「『農業をもっともっと勉強したい』という意欲を感じる生徒だった。その先にきっと夢があったんだろう。帰ってきてほしい……」とうなだれた。【平林由梨】
毎日新聞 2008年8月28日 東京朝刊

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伊藤さん殺害 打ち砕かれた「善意」 父親沈痛「まだ受け入れられない」
8月28日8時  産経新聞

 「この国を緑豊かな国に戻すお手伝いをしたい」。そんな夢を抱いて海を渡った青年の「善意」が、無残に打ち砕かれた。アフガニスタンで非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)が拉致された事件は27日、山中で射殺された伊藤さんの遺体が発見されるという最悪の結末を迎えた。「万に一つでも…」と息子の無事を祈っていた両親の願いはかなわず、現地の同僚たちは泣き崩れた。

 「正直、家族はまだ受け入れられない。顔を見たい」。伊藤さんの遺体確認を受けて、父の正之さん(60)は27日夜、報道陣の前には姿を見せず、「ただ本人には家族みんなで『頑張ったね』と言ってあげたい。家族で認めてあげたい」とコメントだけを出した。

 静岡県掛川市の実家に外務省から連絡が入ったのは午後10時10分ごろだったという。しかし、心労を重ねてきた家族の体調や現地のリスクなどを考え、アフガニスタンには行かず、国内の空港で家族で出迎えたいとしている。

 これに先だつ同日午後、伊藤さんとみられる遺体が発見されたとの情報を受けた際、正之さんは「100分の1でも、万分の1でも生きていてくれれば…」と、錯綜(さくそう)する安否情報の中で、生存へ懸けるいちるの望みを語っていた。

 その後、伊藤さんの自宅には、親族とみられる女性らが車で駆けつけ、悲鳴を上げながら家の中へ走り込んだ。

 「どうして」。静まりかえっていた自宅からは、たびたび悲しみに暮れる叫び声が響いた。

 和也さんは、母の順子さん(55)に「おれが死んだらアフガンの地に埋めてくれ」と話したこともあった。

 順子さんはショックで「本当に疲れてしまい、体調がよくない」(正之さん)状態で、自宅で横になり休んでいるという。

 正之さんは犯行グループに対し、「アフガニスタンのために和也はよい国を作ろうと頑張っていたのに、現実を感じた。和也も悔しいと思う」と怒りをにじませた。
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【アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的 
 08/27 23:38 i  共同通信
 アフガニスタンで日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)が拉致され死亡した事件で、関与を認めていた反政府武装勢力タリバンのムジャヒド報道官は27日、遺体発見後に共同通信の電話取材に応じ「日本人を殺害した。すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」と述べた。

 報道官は「このNGOが住民の役に立っていたことは知っている。だが、住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ」と主張。「日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、われわれは殺害する」と訴えた。

 報道官は伊藤さんの拉致後、「日本人は政府側との戦闘に巻き込まれて死んだ。政府側の流れ弾に当たった」と責任を回避する発言をしていたが、一転して意図的に殺害したことを認めた。(共同)

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いずれ狙われる…不安は的中した アフガン拉致・殺害
                    2008年8月27日  Iza
アフガニスタン東部ジャララバード近郊で非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)が、旧政権タリバン系武装勢力とみられるグループに拉致された事件。地元に溶け込んだ支援活動で定評のあったNGOメンバーが被害にあったことの衝撃は大きい。長年の積み重ねで勝ち取った住民からの信頼をよりどころに、用水路建設など大掛かりな事業を手掛けてきた同会。スケールの大きい活動が金目当ての犯行を誘発したとの見方も出ている。

 《自信と過信》
 「記者だと分からないように、必ずシャルワルカミーズ(民族服)を着て来てください」。ペシャワール会は現地取材に訪れる報道機関に対して、いつもこう呼び掛ける。ワーカーと呼ぶボランティアと同じ宿舎に記者を泊め、ワーカー同様、単独行動は厳禁だ。

 1991年にジャララバード近郊のダラエヌールに診療所を開設して以来、井戸掘りや農業指導、用水路建設などを手掛けてきたペシャワール会には、地元に根差してきた自信と誇りがにじむ。

 一時「伊藤さん無事解放」と誤って流れた情報について、地元警察は「身柄を確保した拉致犯の一人と間違えた」と釈明。ワーカーはみな日焼けしてひげを生やし、シャルワルカミーズを着ており、現地人と見間違えられても不思議でないほど地元に溶け込んでいる。

 朝晩の現場への行き帰りも車列を連ね、警戒は怠らないが、伊藤さんは運転手と2人でいるところを拉致された。事業に多くの住民を雇用し地元に歓迎されてきたペシャワール会で、現地滞在が4年近い伊藤さん。地元記者は「住民の歓迎ぶりを過信し、すきをつかれた可能性も否定できない」と指摘する。

 《報復?金目当て?》
 最近のアフガンは急速に治安が悪化している。米軍の死者数は2001年の攻撃開始以来、最多のペース。米軍などの空爆で民間人が巻き込まれるケースも後を絶たず、アフガン国民の反米感情は高まる一方だ。

 ペシャワール会が活動するアフガン東部は、タリバンの活動が活発な地域。ダラエヌールは特に活発なコナル州に近く、伊藤さん拉致は武装勢力による「日本への報復」との見方がある。タリバン報道官は関与を認めているが、実行部隊が実際にタリバンの支配下にあるかは不明で、山岳地帯のコナル州には山賊も多い。

 地元住民の一人は「ペシャワール会の活動は目立ちすぎた」と指摘。重機やダンプカーを使って20キロ以上の用水路を完成させており「金を持っているのは明らかで、狙われる恐れはあった」と話し、金目当ての犯行との見方を示す。

 《不安的中》
 「夏までには日本人を全員撤退させたい」。ペシャワール会現地代表の中村哲医師は繰り返しこう語っていた。「アフガンは今、ほとんどの地域が無政府状態にあり、いずれ日本人が狙われる」。中村氏の不安は的中したが、伊藤さんらの撤退は先延ばしになり、具体的な期日は決まっていなかった。

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朝日新聞社説
                      2008年8月28日

アフガン拉致―青年の志を無にしない アフガニスタン東部で武装グループに拉致されたNGOの伊藤和也さんが遺体となって発見された。

 何と痛ましい知らせだろう。無事の帰還を願っていた家族や同僚たちにとっては最悪の事態だ。戦乱の地で民生支援に汗をかく日本の青年の志が、凶弾によって打ち砕かれてしまった。

 伊藤さんはNGO「ペシャワール会」の一員として、5年前に現地に入った。サツマイモやコメの栽培、灌漑(かんがい)施設づくりに取り組んできた。炎天下、50度近い暑さの中で続く用水路工事を見守る人々の姿に、「小さい子まで、水が来るのを待っているんだなと思います」と会報に記した。

 そんな伊藤さんの命を奪った犯行に、心の底から怒りを覚える。紛争地の人道援助NGOは、どの武装勢力からも中立的な立場を取ろうとする。なのに、なぜ襲われたのだろうか。

 ペシャワール会は中村哲医師がパキスタンで創設し、アフガンでは80年代から医療や農業支援の活動を続けてきた。9・11同時テロの前から、この国に根を下ろしてきたNGOだ。

 伊藤さんも現地語を習い、地元の人々と同じ衣服をまとうなど、共に生きているとの思いがあったに違いない。

 紛争地での活動は、常に危険と隣り合わせだ。それだけに、民生支援に入るNGOは現地の事情や治安情勢を入念に把握し、住民との信頼関係を築くことで身の安全を確保する。ペシャワール会はその点で長い実績があっただけに、それでも完全な安全はあり得ないことを改めて実感させられる。

 拉致された伊藤さんたちを奪い返すため、大勢の村人たちが捜索に加わったと伝えられる。厚い信頼と友情がはぐくまれていたのだろう。

 ちょうど10年前の夏、中央アジアのタジキスタンで、国連政務官として紛争解決にあたっていて凶弾に倒れた秋野豊・元筑波大助教授の事件を思い起こす。15年前にはカンボジアで、選挙監視の国連ボランティアだった中田厚仁さんが襲われて命を落とした。

 こうした人々に共通するのは、紛争に苦しむ人々を助けたい、支援したいという人道主義の熱い思いと志である。軍事によらない平和的国際貢献を担ってくれる、日本の貴重な財産だ。

 アフガンの治安はかなり悪化している。7年前にいったん崩壊したタリバーンが勢力を盛り返し、国際治安支援部隊だけでなく、各国のNGOにも犠牲が相次いでいる。

 アフガンではペシャワール会をはじめ、10近くの日本のNGOや国際協力機構(JICA)が活動している。事業継続のためには、要員の一時退避もやむをえまい。

 悲しみを乗り越え、出来る範囲でねばり強く活動を続ける。それが伊藤さんたちの志を生かす道だ。


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石田ふたみ