『日々の映像』

2008年03月17日(月)  中国 チベット暴動 (2)

 中国チベット暴動の関する報道は読売新聞の目次のみを以下に引用したがおびただしい数である。3月16日大手新聞社3社の社説はチベット暴動に関することであった。少なくとも天安門事件を上回る大事件に発展することは必至の情勢である。

今回の暴動に背景は
「チベットではこれまでも、僧侶のデモや治安当局との衝突が繰り返されてきた。その発端は、新中国の建国から間もない1951年に人民解放軍がラサに進駐したことにさかのぼる。1959年に起きた動乱を解放軍が武力鎮圧し、ダライ・ラマは亡命した。中国政府は1965年にチベット自治区を成立させたが、1989年には独立を訴えるデモが騒乱となり、戒厳令が敷かれたこともある。今回の衝突はそれ以来の規模と見られる。」( 朝日者社説から)とあるように事の発端は1951年に人民解放軍がラサに進駐したことにさかのぼるのである。


チベット騒乱―流血の拡大を止めよ
                   2008年3月16日 朝日新聞社説
社説:ラサ暴動 北京五輪にダライ・ラマ招け
                     毎日新聞 2008年3月16日 
社説1 天安門事件を連想させるチベット情勢
                        2008年3月16日 日経
中国:五輪控え政権にダメージ チベット暴動
毎日新聞 2008年3月15日 


デモ鎮圧の中国甘粛省中心部、厳戒下の“シャッター街”に (3月16日)
チベット暴動関与者への中国側の捜査が本格化 (3月16日)
ダライ・ラマ14世が会見、チベット暴動で国際調査を (3月16日)
インド・ダラムサラで亡命チベット人が「団結」の集会 (3月16日)
米国務長官、チベット暴動で中国政府に「自制」求める (3月16日)
ラサへの「渡航延期」求める危険情報、外務省が発表 (3月16日)
「群衆に装甲車突入」…ラサ住民 (3月16日)
政府、チベット情勢注視…邦人の無事は確認 (3月16日)
中国軍ラサ鎮圧か、チベット仏教寺院など依然厳戒 (3月16日)


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チベット騒乱―流血の拡大を止めよ
                   2008年3月16日 朝日新聞社説
 中国チベット自治区のラサで、僧侶や住民と治安当局が衝突し、多数の死傷者が出ている。状況はまだよく分からない点が多いが、中国政府は武力行使を控えて、流血の事態の拡大を防ぐべきだ。
 ラサでは最近、中国の統治に反対する僧侶らの抗議活動が行われていた。現地からの情報は限られているが、国営通信社はきのう、10人死亡を伝えた。死者はもっと多いという未確認情報もある。
 街の中心部で警察の車がひっくり返されて煙を上げる写真や、投石している住民の画像が国外に流れている。状況はかなり緊張している。
 インドに亡命しているチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は「抗議行動は、現在の統治下でチベット人に深く根ざした憤りの現れだ」との声明を出した。同時に、チベットの住民に非暴力を訴えた。
 中国当局者は「ダライ一派が組織的、計画的に策動したことを証明する十分な証拠がある」と述べたが、ダライ・ラマ側は否定している。
 チベットではこれまでも、僧侶のデモや治安当局との衝突が繰り返されてきた。その発端は、新中国の建国から間もない1951年に人民解放軍がラサに進駐したことにさかのぼる。
 59年に起きた動乱を解放軍が武力鎮圧し、ダライ・ラマは亡命した。中国政府は65年にチベット自治区を成立させたが、89年には独立を訴えるデモが騒乱となり、戒厳令が敷かれたこともある。今回の衝突はそれ以来の規模と見られる。
 外国メディアの取材が制限されているため、最近の事情には不明なところが少なくないが、当局の取り締まりで表面的には平静が保たれていた。そんな中、数日前からラサで僧侶や住民による中国政府への抗議活動が起きていた。
 8月の北京五輪を前に、中国の人権状況にはいつにも増して厳しい視線が国際社会から注がれている。ダライ・ラマ14世にノーベル平和賞が贈られたように、チベットに対する国際的な関心は極めて高い。
 中国当局は武力を使うような強硬策を自制し、住民との対話によって事態の沈静化を進めなくてはならない。このうえさらに住民側に死傷者が増えるようだと、五輪にも深刻な影響が出かねないことを覚悟すべきだろう。
 非難合戦でダライ・ラマ側との対立を深めるばかりでは、平和的な収拾は遠のいてしまわないか。
 中国には新疆ウイグル自治区でも独立運動があり、テロ事件も起きている。気功集団への弾圧や、人権活動家の投獄などの報道もある。
 今後、五輪を成功させることを最優先に、事前の治安対策が強まることも予想される。だが、手荒な対応はかえって中国の評判を落とすだけだ。日本政府はあらゆる機会を利用して、中国側に自重を求めなければならない

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社説:ラサ暴動 北京五輪にダライ・ラマ招け
                     毎日新聞 2008年3月16日 
 中国のチベット自治区ラサで大規模な民族暴動が発生した。多数の死傷者が出たという。
 国家の威信をかけた北京五輪が8月に迫り、中国の人権問題に対する国際的な関心も高まっている。民族暴動の武力鎮圧は解決にならない。そればかりかダルフール問題でくすぶっていた北京五輪ボイコット論を再燃させかねない。
 おりもおり北京では「調和社会」の建設をかかげる胡錦濤氏が国家主席に再任された。胡主席の後継者の習近平氏は副主席に選ばれて、北京五輪指導小組の責任者に指名された。五輪の成功も、暴動の処理も、第2期胡錦濤政権の指導力が問われている。
 今回の暴動の発端は、僧侶のデモに対する治安当局の弾圧だった。ダライ・ラマ14世がインドに亡命した「チベット動乱」から49年の10日、多くの僧侶がデモをした。当局がこの僧侶を連行した。これにチベット人民衆が怒り、漢民族の経営する商店を焼き打ちするなど暴徒化したという。
 チベット動乱30周年の89年3月にもラサで暴動が起きた。その3カ月後が北京の天安門事件だ。軍事力で天安門広場のデモを制圧した中国は、その後世界から孤立した。あの悪夢を中国指導者はまさか忘れていないだろう。
 いま情勢が不穏なのはチベットだけではない。東トルキスタン独立運動のある新疆ウイグル自治区でも最近、飛行機にガソリン入りの容器を持ち込んだ容疑で女性が逮捕されている。
 民族問題と並んで貧富の格差に伴う社会不安も広がっている。北京ではテロ緊急対応司令部が設置された。人権擁護や民主化を主張する弁護士らが拘束されているという。
 企業では、労働法制改正の余波で解雇撤回や賃上げを求める労働争議が広がっている。土地を強制収用された農民が補償を要求して抗議行動をしている。大富豪が増えた半面で、貧困階層は食料品などの物価高騰に悲鳴を上げている。
 胡主席の提起した「調和社会」の建設は、これらの問題を解決する正しい方針である。
 北京五輪の聖火リレーでは、チベットの聖山チョモランマの頂上にチベット族と漢族の合同登山隊が聖火を運ぶ。それなら、なぜ五輪の開幕式にダライ・ラマ14世を招待しないのか。
 胡主席が貴賓席でチベット人の精神的指導者と語り合う度量を見せたら中国のメンツはつぶれるだろうか。その心配は無用だ。これこそ「調和」であり、中国のソフトパワーを高めることになる。
 現在のダライ・ラマは独立論者ではなく高度の自治を求めている。その自治の範囲については五輪後にじっくり話し合えばいいことではないか。北京五輪を、災いを転じて福とする機会にすべきだ。
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社説1 天安門事件を連想させるチベット情勢
                        2008年3月16日 日経

 中国チベット自治区の中心都市ラサで14日、大規模な騒乱が起き、新華社によれば10人が死亡した。中国当局はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を名指しで非難しているが、力で抑え込もうとすれば悲劇の連鎖が続きかねない。胡錦濤政権の自制を求める。

 中国の支配に抗議するチベット仏教の僧侶らのデモは10日に始まった。ダライ・ラマのインド亡命につながった1959年の「チベット動乱」から49周年にあたる日だ。

 14日に抗議行動はエスカレートし、ラサ中心部のチベット仏教の聖地、ジョカン寺(大昭寺)周辺の繁華街で火災が発生した。警察車両への焼き打ちも起きた。新華社は、公安当局が催涙弾や威嚇射撃で対応したと伝え、10人の死者は「善良な市民で、焼死した」としている。

 新華社によれば騒乱は15日には終息した。ただ、当局はジョカン寺などの周辺をなお封鎖しているとの情報もある。外国メディアの現地入りを原則禁止するなど当局が厳しい情報統制を敷いているため、実情はよくわからない。

 ラサでの大規模な騒乱は、戒厳令の実施にまで発展した1989年の「動乱」以来、ほぼ19年ぶりだ。5カ月後の北京五輪をにらみ、国際社会にチベット問題をアピールする思惑があったとみられる。

 北京では5日から全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれている。今年の全人代は胡錦濤国家主席(共産党総書記)の後継者候補である習近平氏を国家副主席に起用する節目の大会で、胡政権の揺さぶりをねらった可能性も大きい。

 実は89年の「動乱」では、当時チベット自治区のトップだった胡錦濤氏が自ら制圧を指揮した経緯がある。再び流血を防げなかったのは、胡政権にとって打撃だ。

 地元の当局者はダライ・ラマが関与した組織的、計画的な暴動だと一方的に非難した。半面、ダライ・ラマは声明を発表して「深い懸念」を示すと同時に、当局と市民の双方に自制を求めている。

 89年にラサで戒厳令が施行されたあと、北京では学生たちの民主化運動を武力で制圧する天安門事件が起きた。日米欧は対中制裁に踏み切り、中国は国際的に孤立した。

 北京五輪をひかえて中国の人権状況への国際的な関心が改めて高まっている。中国はいまや世界経済のけん引役で、国際的に孤立するようだと影響は大きい。人権への配慮を欠いた中国当局の高圧的な対応を憂慮する。
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中国:五輪控え政権にダメージ チベット暴動
毎日新聞 2008年3月15日 
 【北京・大谷麻由美】分離・独立運動がくすぶる中国西部、チベット自治区の区都ラサで14日、チベット族による暴動が発生したことで「新中国成立以来、最大の国家イベント」とされる北京五輪を8月に控えた胡錦濤指導部が大きなダメージを受けるのは必至だ。
 また、北京では全国人民代表大会(全人代=国会)が開催中でもあり、今年の全人代で2期目に入る胡錦濤指導部が今後、国内の安定にどのように対処していくか。国際社会は中国の人権問題と絡めながら、これまで以上に監視を強めていくとみられ、新たな対中摩擦になる可能性もある。
 胡錦濤政権は「調和の取れた社会」実現を国内外にアピールしてきた。これは地域格差の解消、安定した国際環境を整えることにあるが、5月に予定される胡主席の訪日時にも、国際人権団体などの大規模な抗議活動が展開されそうだ。
 チベット自治区や隣接する青海省では、インド亡命中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を敬愛する住民が現在も多い。
 中国当局はチベットへの鉄道敷設などインフラ整備を進め、「アメ」を与えるとともに、ダライ・ラマ14世の関係者と水面下の交渉も加速化し、懐柔策も取る一方、分離・独立運動への取り締まりを強化するなど「ムチ」も同時に続け、チベット統治に自信を深めていた。それだけに今回の暴動に大きな衝撃を受けているのは間違いない。
 14日は中国政府がチベットほか、新疆ウイグル自治区、台湾などの分離独立を封じ込めるために設けた「反国家分裂法」の制定からまる3年。また10日は、ダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなった1959年の中国軍によるチベット武力鎮圧から49年目だった。
 中央政府への反発を強める分離・独立運動が「記念日」に合わせて行動を起こした可能性も否定できない。また、台湾では22日に総統選が控えており、台湾の独立を求める団体と連動した可能性もある。
 今回のデモへの対応次第では、五輪ボイコット運動へと発展しかねない。海外の非政府組織(NGO)などはチベット問題を理由に、企業に北京五輪での協賛を取りやめるよう働き掛けている。五輪開幕式の芸術顧問をいったんは引き受けていた米映画監督スティーブン・スピルバーグ氏は、スーダンのダルフール問題を理由に顧問を辞任した。近づく五輪を前に、胡錦濤指導部は難しい対応を迫られそうだ。
 ◇59年に武力弾圧 89年には戒厳令
 中国は1951年、チベットに人民解放軍が進駐。ダライ・ラマ14世をトップとするチベット政権と「チベット平和解放に関する協定」を結んだ。59年3月に社会主義化の影響を恐れた農奴主ら約2万人が蜂起したが、武力で制圧された。ダライ・ラマ14世は亡命し、インド北部のダラムサラを拠点に亡命政府としての活動を続けてきた。
 89年3月に再び大規模な暴動がラサで発生し、当時の胡錦濤・チベット自治区党委書記(現国家主席)が戒厳令を敷いた。同年、ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞した。90年代前半にも抗議活動や僧侶の拘束が相次いだが、最近は自治区内での目立った抗議活動は起きていなかった。06年7月にはラサまで乗り入れる青蔵鉄道が開通し、観光ブームにわいていた。

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石田ふたみ