2月8日の「飛び込み出産301人」の最後の書き込みにオリヒメさんから 「では、どこで産みましょう。」 http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20060613ok01.htm?from=goo お産難民”深刻に、分娩予約は抽選◆閉院も続々 http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/mixnews/20080208ok02.htm お産崩壊(3)24時間勤務 最高で月20日「体力の限界」開業医も撤退 という投げかけがあった。
記事の概略は知っていたのでオリヒメさん「では、どこで産みましょう。」という文字が、大きな声となって私の胸に突き刺さった。具体的にはお産する場所の崩壊を突きつけられた形である。エンピツにA-4で約8ページの以下の記事を収録した。このテーマに関心のある方は目を通してください。要点のほんの一部を引用します。
1、妊婦の誰もが、いつ行き場を失ってもおかしくないということを、思い知らされました
2、総務省が昨年秋にまとめた調査では、救急搬送されながら病院への受け入れを1回以上断られた妊婦は、2006年1年間で2668人。
3、医療現場の産婦人科医は年々、減り続けている。中堅、ベテラン医師が過酷な労働を強いられる分娩(ぶんべん)から撤退し、自らの出産・育児で現場を離れる女性医師も増えているからだ。
4、妊娠しても受診をしない女性たち。その背景には、「妊婦の孤立」という、重い問題が横たわっている。
5、周辺病院で産科の閉鎖が相次ぎ、この産院に妊婦が集中したため、リスクの高い35歳以上の初産妊婦はお断りせざるを得ない――。そんな張り紙が待合室の隅に張り出されていた。帰り際、「早く探さないと産めなくなりますよ」と、別の病院を3か所ほど紹介してくれた。「これが現実なのだと自分を納得させるしかありませんでした」
お産現場が崩壊に近いのだから、少子化は予想を遥かに超える印象をもった。
お産崩壊(1)妊婦受け入れ 31回「不能」 (2008年2月6日 読売新聞) お産崩壊(2)「飛び込み出産」の孤独 (2008年2月7日 読売新聞) お産崩壊(3)24時間勤務 最高で月20日 (2008年2月8日 読売新聞)
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お産崩壊(1)妊婦受け入れ 31回「不能」 (2008年2月6日 読売新聞) 東京から栃木へ、ようやく入院へ
妊婦が病院に受け入れてもらえない事例が相次いでいる。ベッド数の不足などから、今や日常的に起きている問題だ。安全・安心な暮らしが脅かされている実態を取材し、その原因を探っていく。 ◎ ◆東京から栃木へ、ようやく入院 東京都内に住む公務員の大西明実さん(34)は昨年6月、妊娠6か月の時に破水してしまい、31の医療機関から受け入れを断られた。 仕事を終えて帰宅しようとした時、出血に気づいた。かかりつけの産科医を受診すると早産の危険があるという。まだ500グラムほどしかない赤ちゃんは、生まれてしまえば命にかかわる。 赤ちゃんが生まれた時のために、NICU(新生児集中治療室)があり、母体管理も可能な医療機関を、かかりつけ医は探し始めた。午後6時半だった。だが、どこも満床で受け入れてもらえない。大西さんの病室には、医師が必死に電話をかける声が響いてきた。「本当に危険な状況なんです」「何とか受け入れてもらえませんか」 この出産はだめになってしまうのだろうか。大西さんは頭の中が真っ白になった。 夜10時近くになって、医師が病室に来て言った。「32か所目で、やっと見つかりました。これから栃木県へ搬送します」。行き先は独協医大病院(壬生(みぶ)町)だと告げられた。 ■ □ なぜ栃木なんですか。東京には病院がたくさんあるじゃないですか。東京じゃだめなんですか――。色々な思いが噴き出したが、医師は「栃木に行かなかったら、この子の命は助からないかもしれない」と言う。心細くて不安な思いを何とかおさえ込んだ。 3歳の長男と夫を東京に残して、大西さんは栃木まで1時間半の道のりを救急車で運ばれた。かかりつけの医師が同行し、救急車の中で「眠れたら眠って下さいね」と声をかけてくれたが、とても眠れなかった。病院に到着したのは深夜0時過ぎ。内診や一通りの検査を済ませて病室に入った時には、午前3時を回っていた。ベッドに入っても、やはり眠れなかった。 翌日、病室で一人、涙が出てきてしまった。長男は大丈夫だろうか、仕事はどうしよう、この入院はいつまで続くのだろう……。看護師が話しかけてきた。「こんな遠くに連れてこられて、泣きたくなっちゃうよね。泣いていいのよ」。声を出して泣いて、ようやく落ち着いた気がした。 独協医大病院には約1か月間入院し、体調が安定してから東京都内の病院へ転院した。勘太ちゃんが1700グラムで生まれたのは8月中旬。成長した勘太ちゃんを胸に抱き、大西さんはつくづく思う。「私の場合は何とかバトンをつなげてもらい、無事出産することが出来た。でも、妊婦の誰もが、いつ行き場を失ってもおかしくないということを、思い知らされました」 ■ □ 昨年8月、奈良県橿原市で救急車を呼んだ妊婦が9病院に受け入れを断られ死産した問題で、にわかに注目を集めるようになった妊婦の“たらい回し”。それは決してひとごとではない。特に大都市周辺では、ひとたびお産の異常が見つかれば、何時間も行き場が決まらないことがあるのが今のお産現場の実情だ。 首都圏の大学病院の医師も昨年、同じ事態を経験した。 年末、早産の妊婦の受け入れ要請が隣接地域の病院からあったが、NICUは既に満床状態で、とても受け入れられない。医師は首都圏の病院30か所以上に打診してみたが、どこもいっぱいで断られ、「全滅」だった。 結局、早産の妊婦は約300キロ・メートル離れた長野県内の病院に救急車で搬送された。「これが“たらい回し”の実態。各医療機関ががんばって、いろいろなところに無理をお願いして、日々をしのいでいるんです」。医師は訴える。 早産救える施設足りず 妊婦の受け入れ先が見つからないことを“たらい回し”と表現されることに怒りを持つ産婦人科医は多い。「医師の都合でたらい回ししているのではない。今のお産施設は、受け入れたくても受け入れられない状態に陥っている」と都内の産科医は訴える。 ◆過労、訴訟…減る産科医 総務省が昨年秋にまとめた調査では、救急搬送されながら病院への受け入れを1回以上断られた妊婦は、2006年1年間で2668人。10回以上断られた例があったのは北海道、宮城、埼玉、千葉、東京、大阪、福岡の7都道府県と、一定地域に集中していた。ただ、これは救急搬送開始後の数字で、救急搬送する前に医師が受け入れ先を探して断られた回数はカウントされていない。 ■ □ “たらい回し”の原因は、一つではない。 早産などリスクの高い妊婦を受け入れるために必要なNICUは、満床状態がほとんどだ。救急搬送の問題がクローズアップされる中、医師の間では「搬送先探しは産科が一番大変だ」と言われる。 医療現場の産婦人科医は年々、減り続けている。中堅、ベテラン医師が過酷な労働を強いられる分娩(ぶんべん)から撤退し、自らの出産・育児で現場を離れる女性医師も増えているからだ。 不測の出産があり得る産科医は24時間態勢。月数回の当直があり、命を直接預かるという重圧もある。 心身共に疲弊している産科医に追い打ちをかけるように、訴訟リスクも高まっている。重大な事故が起きれば、産婦人科は他の科に比べて民事訴訟に訴えられる割合は高い。一昨年には、福島県の県立病院の産科医が帝王切開の手術を巡って刑事訴追された。 責任の重さと過重労働からうつ状態に陥った、ある産科医は「忙しいうえに、訴えられる可能性もあるのなら、産科医が現場から離れていくのも理解できる」という。 ■ □ 医療現場の混乱に拍車を掛ける妊婦もいる。妊婦健診をほとんど受けないまま、出産間際になって病院にやって来る未受診妊婦だ。こうした「飛び込み妊婦」は、健康状態や出産予定日が把握できないため、早産や死産などのリスクが高まる。 そもそも「飛び込み」で来られても、ベッドは空いていない。都市部などでは、受け入れたとしても、次に救急搬送されてくる妊婦の行き場がなくなり、そして妊婦搬送の迷走が始まるという構図がある。 「我が国の産科医療体制は、地方、都市部を問わず崩壊の危機にある」。日本産科婦人科学会が先月末までに、都道府県知事への文書でそう現実を訴えた。お産の現場の窮状に、福田首相は1月の施政方針演説で「勤務医の過重な労働環境や産婦人科の医師不足の問題に対応する」と明言するなど、国も重い腰を上げ始めている。
お産崩壊(2)「飛び込み出産」の孤独 (2008年2月7日 読売新聞) 妊娠相談ダイヤルの啓発カードを女性トイレに置き、取りやすいよう工夫している(熊本市内で) 彼・母親・友人…誰にも言えず 3日昼過ぎ、大阪市内に住む陽子さん(24)(仮名)は女の子を出産した。 初めて診察を受けたのは先月8日。妊娠34週(9か月)に入り、赤ちゃんはすでに2600グラムに育っていた。 大阪・ミナミの飲食店で、夕方から翌朝までカウンター越しに接客する仕事をしていた。もともと生理不順で、生理がなくても気に留めていなかったが、昨年秋、下っ腹に突っ張りを感じ、もしやと、妊娠検査薬を使った。陽性だった。 「産みたい」と思ったが、妊娠を認めるのが怖かったという。交際相手の男性に言えなかった。仲のよい母親にも相談できなかった。病院もどこへ行けばいいかわからない。医者には怒られそうだ。勤め先にも、伝えることができなかった。 「まだ、大丈夫」「どうしよう」。気持ちは揺れ動いた。客に「太ったのでは」と言われたが、おなかが目立たないよう服で締め、カウンターに立ち続けた。 奈良県で、妊娠7か月の未受診の女性が救急搬送され、医療機関に受け入れを拒まれて死産したことは知っていた。当時は人ごとだったが、「陣痛が来て救急車で運ばれるのは嫌。どこかの病院に一回は行かなければ」と、焦り始めた。 昨年末、交際相手に「おなか大きくない?」と言われ、やっと、うち明けることができた。年が替わり、共通の知人の紹介で助産師に会った。区役所で母子健康手帳をもらえることを教わり、助産師の勤務先の病院を紹介してもらった。 妊婦健診を受けないと、赤ちゃんの異常や早産の恐れがあってもわからない。「未受診は、あなたにも、赤ちゃんにとっても危険なことなの」と言われ、初めて、本当に怖いと思った。 この助産師は「いまの妊婦さんは、出産にかかわる情報を知らない。伝わっていない」と話す。 情報を伝えるため、ほかで例を見ない取り組みをしているのが熊本県だ。 熊本市内の病院で昨年5月、親が育てられない赤ちゃんを託す「赤ちゃんポスト」の運用が開始されたことから、妊娠に関する県の無料電話相談の存在を知らせるための名刺大のカードを20万枚作製。薬局、コンビニ、大学・短大などに配布し、女性が手に取りやすいようトイレにも備えた。 相談件数は2006年度の72件から、07年度は12月までで170件と急増。対応した看護師や保健師らは「一定の情報提供はできたが、電話をかけてこられない人が心配」と話す。親子・夫婦関係など生活環境にかかわる複数の問題を抱え、妊娠してもすぐ病院に行けない女性は多い。 東京都内の総合病院で、患者からの生活相談に応じている医療ソーシャルワーカーの女性は、未受診妊婦の支援にかかわった経験から、「未受診になる女性の家庭は、家族関係が希薄」と感じているという。 例えば、10歳代半ばの未受診妊婦のケース。生理が来ないと悩んでいたが、母親には相談できない。やっとの思いで姉に告げ、姉は母親に伝えたが「あらそうなの」で終わってしまった。家族の中で、肝心な言葉が交わされずにいた。 「『洋服を買いに行こうか』とは言えるのに、『生理が止まっているの?』とか『太ったんじゃない?』など、本人と向き合わなければならない言葉を言い出せないんです」 未受診妊婦の飛び込み出産に数多く立ち会ってきた青森県十和田市立中央病院の副看護局長で助産師の山端澄子さん(52)は、最近気づいたことがある。彼女たちがみな、「一人で」駆け込んでくることだ。 「妊婦が一人で妊娠を背負い、地域からも家庭からも孤立している。夫、家族、友人が支えになっていない。出産後、私たちが夫と話し合いをしようとしても、夫は応じようとしないのです」 妊娠しても受診をしない女性たち。その背景には、「妊婦の孤立」という、重い問題が横たわっている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー お産崩壊(3)24時間勤務 最高で月20日 (2008年2月8日 読売新聞) 「体力の限界」開業医も撤退 「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。 少子化になる前、お産の現場を支えてきた開業医たちも引退の時期を迎えている。東京・武蔵野市にある「佐々木産婦人科」の佐々木胤郎(たねお)医師(69)は、1975年の開業以来、3000人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。しかし、今は「命を預かるお産は責任が重い。体力的にきつくなり、訴訟の不安もつきまとう」と、分娩をやめ、妊婦健診だけにしている。 ◎ 産科医がお産から撤退すれば、妊婦にしわ寄せがくる。 東京・町田市の女性は昨秋、妊娠5週目ほどの時に神奈川県内の小さな産科医院を初めて訪れ、あっけなくこう言われた。「あら、あなた35歳なの? うちでは診られないですね」 周辺病院で産科の閉鎖が相次ぎ、この産院に妊婦が集中したため、リスクの高い35歳以上の初産妊婦はお断りせざるを得ない――。そんな張り紙が待合室の隅に張り出されていた。帰り際、「早く探さないと産めなくなりますよ」と、別の病院を3か所ほど紹介してくれた。「これが現実なのだと自分を納得させるしかありませんでした」 その後、産院や助産院を5か所回った。2か所は断られた。ある産院では「35歳の初産は分娩時に救急搬送になる可能性が高い。そういう妊婦は受け入れられない」と言われた。 「仕事が忙しくて、出産を先送りにしてきたが、35歳以上の出産がこれほど大変とは思わなかった」と話す。 医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。 産科医が直面する問題を昨年、小説に描いて話題になった昭和大医学部産婦人科学教室の岡井崇教授(60)は、「悪循環を断ち切るには、働く環境を改善して現場の医師をつなぎ留め、産婦人科に進む医学生を地道に増やしていくしかない」と話している。
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