『日々の映像』

2008年01月06日(日)  この怒り、何処へもっていけばいいの

 私は1939年4月生まれの68歳である。マイミクのまえちゃんは70歳というから1937年生まれである。まいちゃんが「いよいよ来年から、公に老人と認定されます」と言っているが、老人がどうかはサルエル・ウルマンが言うように「心の様相」ではないかと思う。社会問題に怒りがあれば、まさに心の様相は「青春」でないかと思う。まえちゃんの日記は怒りが燃える青年の息吹がある。2007年12月7日の日記を日々の映像に引用させてもらうことにした。

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何処へもっていけば?
2007年12月07日  

 12月7日、朝日に国民生活センターの縮小案なるものがのっていた。確かに今無駄な独立行政法人の改革、縮小が言われている。行革相の孤軍奮闘が伝えられている。
 
報道番組でもあれこれと無駄の実態が伝えられている。世の移り変わりに伴い任務の終わったものもあるにもかかわらず、温存すべく総抵抗の各省庁。ところが国民に最も近しい部門、自分達に不都合な部門はあっさり切り捨てようとされている。いったいこれはどうしたことか。
 
生活保護費、母子加算金の廃止、病床の削減による医療費の抑制、書き出せば限の無い声無き国民へのしわ寄せ、切捨て。私達は拳をふりあげて、新幹線を、高速道路を、地方の活性化のための公共事業をと叫ぶことは無い。なぜなら無縁だから。

 たしかにその地方に住んではいる、が、しかしその恩恵にあずかることさえ出来ない一群の層にぞくするから。それは属しないことの罪だろうか、いくら救急車の通れる道をつくったところで、受け入れられずに命を落とすことだってあるのだ。

 なにかおかしい、弱肉強食の生き物として当たり前の帰結だというのだろうか。日本がインド洋からひきあげて後、給油の問題はどうなっているのだろうか、にっちもさっちもいかなくなっているのか。無料の給油タンクがなくなってどこかの国が動けなくなっているのだろうか。 それでもテロはいっこうに治まっていないではないか。

とにかく視点が違う、選挙目当ての政策をだして、ひと時国民の目をあざむいて、議席を確保した暁に有無を言わせず切り捨てられる不安を拭い去ることが出来ないで居る。どんなに口惜しがっても、力の無い者は淘汰されるだけなのか。書ききれないもどかしさ。
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2008年01月03日  ふたみの書き込み

まえちゃん
社会が少しでも良くなるように書きましょう。
社会が少しでも良くなるように声を出しましょう。
社会が少しでも良くなるように行動しましょう。

結果は私たち自身の生きる活力が増してくるのです。

何もしない人は、年々生きる力が弱まり介護が必要な老人になるのです。








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石田ふたみ