『日々の映像』

2007年11月04日(日) 小沢辞任騒動

その昔川嶋副総理の名言「政界の1寸先は闇である」という言葉がある。
今回の騒動は1日前では全く予想もしていなかったことでありまさに「政界の1寸先は闇である」を地で行く出来事である。2−3日は様子を見ないとなんとも言えないが、その要点は
1、 連立協議受け入れを探った小沢一郎代表と、これを拒絶した民主党の国会議員たち・・・
2、 次期衆院選での政権奪取を掲げていた民主党に今回の騒動が与えたダメージは大きい。
3、 小沢氏は党内の空気の読み違えたのか。分かって仕掛けたのか、小沢氏の行動にはさまざまな観測が飛び交う。

小沢氏「混乱にけじめ」 「報道に憤り」とも 会見全文
2007年11月04日 朝日新聞
小沢流けじめに不満噴出 民主地方組織「選挙戦えぬ」
2007年11月04日朝日新聞
<大連立>党首会談の全容判明 党首間では基本的に一致
2007年11月04日毎日新聞 -
民主党の小沢代表、辞職願提出「党内混乱の責任取る」
2007年11月4日 読売新聞


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小沢氏「混乱にけじめ」 「報道に憤り」とも 会見全文
2007年11月04日18時48分 朝日新聞
 民主党の小沢代表が4日、開いた辞意表明会見での全発言は以下の通り。(別に質疑応答での全発言)
 民主党代表としてけじめをつけるに当たって私の考えを述べたい。福田総理の求めによる2度にわたる党首会談で、総理から要請のあった連立政権樹立を巡り、政治的混乱が生じた。民主党内外に対するけじめとして、民主党代表の職を辞することを決意し、本日、辞職願を提出し、私の進退を委ねた。
 代表の辞職願を出した第1の理由。11月2日の党首会談において、福田総理は、衆参ねじれ国会で、自民、民主両党がそれぞれの重要政策を実現するために連立政権をつくりたいと要請された。また、政策協議の最大の問題である我が国の安全保障政策について、きわめて重大な政策転換を決断された。
 首相が決断した1点目は、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る、したがって特定の国の軍事作戦については、我が国は支援活動をしない。2点目は、新テロ特措法案はできれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力体制を確立することを最優先と考えているので、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。
 福田総理は以上の2点を確約された。これまでの我が国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるから、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断した。
 代表の辞職願を出した第2の理由。民主党は、先の参議院選挙で与えていただいた参議院第一党の力を活用して、マニフェストで約束した年金改革、子育て支援、農業再生を始め、国民の生活が第一の政策を次々に法案化して、参議院に提出している。しかし、衆議院では自民党が依然、圧倒的多数占めている。
 このような状況では、これらの法案をすぐ成立させることはできない。ここで政策協議をすれば、その中で、国民との約束を実行することが可能になると判断した。
 代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して国民の生活が第一の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。
 国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
 政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える。
 以上のような考えに基づき、2日夜の民主党役員会で福田総理の方針を説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案したが、残念ながら認められなかった。
 それは、私が民主党代表として選任した役員から不信任を受けたに等しい。よって、多くの民主党議員、党員を指導する民主党代表として、党首会談で誠実に対応してもらった福田総理に対しても、けじめをつける必要があると判断した。
 もう一つ。中傷報道に厳重に抗議する意味において、考えを申し上げる。福田総理との党首会談に関する報道について、報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、強い憤りをもって厳重に抗議したい。特に11月3、4両日の報道は、まったく事実に反するものが目立つ。
 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、今回の連立構想について、小沢首謀説なるものが社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されている。いずれもまったくの事実無根。党首会談、および会談に至るまでの経緯、内容について、私自身も、そして私の秘書も、どの報道機関からも取材を受けたことはなく、取材の申し入れもない。
 それにもかかわらず事実無根の報道がはんらんしていることは、朝日新聞、日経新聞を除き、ほとんどの報道機関が、自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられない。それによって、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な中傷であり、強い憤りを感じる。
 このようなマスメディアのあり方は、明らかに報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思う。報道機関が政府与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争に突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ。
 また、自己の権力維持のため、報道機関に対し、私や民主党に対する中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥じるところがないか、自分自身に問うてもらいたい。
 報道機関には、冷静で公正な報道に戻られるよう切望する。

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小沢流けじめに不満噴出 民主地方組織「選挙戦えぬ」
2007年11月04日朝日新聞
 小沢氏らしい、辞意表明だった。
 「小沢体質が出た。おれについてこられないなら、おれが辞めるということなのだろう」。次期総選挙で千葉6区から立候補しようとしている生方幸夫前衆院議員は、そう話した。
 小沢代表の地元、党岩手県連の佐々木順一幹事長も「小沢さんらしく、防衛問題などで信念を貫くため捨て身で取った究極の判断だ」と話した。
 だが、党の足元では不満が噴出している。
 小沢代表は、自民党との政策協議について党役員会で拒否されたことを「代表として不信任を受けたに等しい」と発言。山梨県連幹事長の樋口雄一県議は「考え方が内向き過ぎる。党内の意見と総選挙で示される民意、どちらが重いと思っていたのか」と批判した。
 渡辺周衆院議員(静岡6区)は「やめるだけの理由が分からない。政治空白は許されない。有権者への政治不信が広がることも懸念している。ちゃんと説明して欲しい」と求めた。
 緊急会合を開いた長崎県連の川越孝洋幹事長は「自分たちは小沢さんを信じてやってきたのに、何でこんなことになったのか」。
 次期総選挙への影響を懸念する声も多い。
 栃木1区からの立候補を予定している石森久嗣氏は「士気が高まったところだけに……。二大政党を掲げて参院選に臨みながら、連立の話が駄目になったので辞任する、というのでは正直、整理がつかない」。
 現職が引退する北海道8区からの立候補を表明したばかりの逢坂誠二衆院議員(比例区・北海道)も「参院で第1党になり、民主党が国民の期待に応えられる状態になっているときにこういう判断をしたことが国民の理解を得られるかどうか」と心配顔だ。
 秋田3区で準備を進めている京野公子・秋田県連幹事長は「また(小沢代表の)わがままが出た」とした上で、「最近は自民党以外にも選択肢があると思ってもらえるようになってきた。(辞意表明は)悪い夢であってほしい」。佐賀県連の原康彦幹事長も「混乱が続けば、せっかく参院選で支持してくれた有権者が離反しないか」と懸念する。
 まだ立候補予定者の決まっていない地方組織も多い。茨城県連幹事長の長谷川修平県議は「候補者の擁立作業にも大きな影響が出る。これからがんばろうという時に(会見で)『総選挙は厳しい』と言われたのはがっかりした」。
 慰留を求める声も強い。鈴木克昌衆院議員(愛知14区)は「福田首相と同じく『背水の陣』になっただけのこと。これからが肝心で、辞めさせてはならない」と話す。
 「いま民主党に勢いがあるのは小沢代表のおかげ。このような形で辞職されたら党はもたない。『不信任』ではなく意見の違いだ」。4日、辞職願を受け取った鳩山由紀夫・党幹事長は悩ましそうに記者団に語った。

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<大連立>党首会談の全容判明 党首間では基本的に一致
(毎日新聞 - 11月04日)
 福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表との2回にわたる党首会談の全容が明らかになった。連立政権協議は両党間では決裂したが、両党首の間では基本的に一致していた。また自衛隊を海外に派遣する恒久法では国連決議を前提にすることで合意。連立政権ができた場合の閣僚ポストなどにも話題が及んでいた。

 連立政権構想を強く主張してきたのは渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆だ。渡辺氏の持論に賛同したのが森喜朗元首相、青木幹雄前参院議員会長、中川秀直元幹事長ら。10月30日の「福田・小沢」第1回会談は森氏らに背中を押されるように実現した。

 45分間の2人だけの協議では、90年以降の日本の安全保障政策について意見交換が行われた。

 「湾岸戦争の時は大変でしたね」。首相は小沢氏に語りかけ、湾岸戦争時の130億ドル支援、96年の日米安保再定義、03年のイラク開戦などが話題になった。

 福田氏は諄々(じゅんじゅん)と新テロ特措法案の意義、日米同盟の重要性を説いた。小沢氏は恒久法について、国連決議を前提にしなければ自衛隊派遣ができないという考え方をメモに書いて首相に渡した。首相は「国連決議だけの有無でいいのですか。相談させてほしい」と検討することを約束した。

 恒久法が連立政権論議の糸口になった。そして話題は閣僚人事まで発展していった。連立政権ができた場合、民主党に振り分けられる財務相など数々のポスト名までが飛び交った。当初は政策協議を念頭にしていた首相も「連立政権協議をして、まとめられるのならそれでもいい」という考えに傾いていった。

 2日の第2回目の会談。恒久法に関する国連決議原則について、首相は「これでいいですよ」と返答。小沢氏も「じゃあ、これで(民主)党内を説得しますから」と約束した。

 そして小沢氏は「連立協議をするなら、国会を閉じなくてはいけない」と提案。連立政権協議の中で新テロ特措法案を話し合う考えを示し、首相は小沢氏は同法案に賛成する腹だと受けとめた。

 首相からの連立政権提案を持ち帰る際、小沢氏は「決めてきます」と告げた。この言葉で首相は連立政権協議が始まると大いに期待した。

 小沢氏は役員会で、恒久法の国連原則に首相が応じたことを報告したが政権協議そのものへの反対論にかき消された。

 与党関係者によると、首相との会談で小沢氏は「総理、あなたから連立をもちかけたことにしてもらえませんか」と切り出し、首相は「その方が都合がいいのなら、それで結構ですよ」と即答した。このように政界には連立政権に関する「小沢首謀説」が流れている。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は3日、京都府内の講演で「小沢代表が大連立を持ちかけた事実はない。代表がうそをつくはずがない。自民党の情報操作だ」と反発した。

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民主党の小沢代表、辞職願提出「党内混乱の責任取る」
              (2007年11月4日17時11分 読売新聞)
記者会見で辞意を表明する民主党の小沢代表(4日、民主党本部で) 民主党の小沢代表は4日夕、党本部で緊急記者会見を行い、自民党との連立政権構想をめぐり、党内を混乱させた責任を取り、鳩山幹事長に辞職願を提出したことを明らかにした。

 小沢氏は記者会見で、「民主党代表としてけじめをつける。党首会談で要請のあった連立政権の樹立をめぐり、政治的混乱が生じたことを受け、代表を辞することを決意し、辞職願を提出し、執行部に進退をゆだねた」と述べた。

 さらに、党首会談で首相が「自衛隊の海外の活動は国連の活動に参加することに限る。連立ができるなら、新テロ特措法案成立にこだわらない」と約束したとしたうえで、「役員会で反対されたのは不信任を受けたのに等しいので、けじめをつける必要があると判断した」と語った。

 民主党内では、「小沢氏が政府・与党との対決姿勢を転換し、与党との連立協議に動いたのはおかしい」との疑念の声が出るなど、動揺が広がっていた。他の野党からも、「自民、民主両党だけの党首会談は密室協議だ」といった批判の声が上がり、野党共闘に影響が出始めていた。

 小沢氏は、2003年9月に自由党党首として民主党との合併に踏み切り、民主党に合流した。06年4月の民主党代表選では、菅直人氏を破って代表に就任。今年7月の参院選では、民主党を大勝に導き、参院で与党を過半数割れに追い込んだ。



小沢代表が辞意表明、連立巡る混乱で引責・政局流動化も
                          2007年11月4日経済新聞 民主党の小沢一郎代表は4日午後、党本部で記者会見し、党首を辞任する意向を明らかにした。理由として党役員会に提起した自民党との連立協議入りの了承を得られなかったことを挙げ、「私が不信任を受けたに等しい」と説明した。鳩山由紀夫幹事長らは慰留に努めているが、党内では後継探しの動きも始まった。参院で第一党である民主党の党首が交代すれば、与野党の力関係にも重大な影響を与えるのは確実。政局が流動化し、給油新法案の行方にとどまらず、衆院解散時期なども一段と不透明に 小沢氏は2日の福田康夫首相との会談で連立政権樹立を打診され、党に持ち帰った。しかし、「選挙での政権交代が筋」などの批判を受け、撤回に追い込まれた。小沢氏は会見で「連立政権の樹立を巡り、政治的混乱が生じたことを受け、民主党内外へのけじめとして代表を辞する決意をした」と表明した。






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石田ふたみ