『日々の映像』

2007年08月20日(月) 中越沖地震の記録 (40)

1、東電供給電力ギリギリ 余力は原発1基未満 朝日新聞
2、災害弱者の名簿、厚労省「地域と共有を」 中越沖で教訓
3、刈羽村の避難所、20日閉鎖
4、柏崎で避難指示区域の地盤調査


1、東電供給電力ギリギリ 余力は原発1基未満 朝日新聞
2007年08月20日07時51分
 新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が全面停止した東京電力は、お盆休みが明けて企業がフル操業に戻る今週と来週、電力供給の正念場を迎える。3月末に予測していた最大電力(=需要)に対する供給余力は、今週が97万キロワット、来週が81万キロワットで、東電の主力原子力発電プラント1基分に満たない水準に落ち込む。酷暑が再び関東地方を襲って冷房需要が高まれば、電力不足で停電などが起きる可能性もある。
電力の需要が最も多いのは、お盆の前の2週間と後の2週間だ。東電は当初、今夏のこの期間の最大電力を、通常の暑さ(最高気温35.3度)の場合で前年実績より5%強多い6110万キロワット、4、5年に1回の厳しい暑さ(同36.7度)になった場合は6400万キロワットで、01年7月に記録した過去最高(6430万キロワット)並みと予想。これを賄うため、6527万キロワットまで供給できる態勢をとっていた。通常の暑さであれば417万キロワット、率にして6.8%と、ほぼ例年並みの余力があるはずだった。
 ところが、計711.2万キロワットを担う予定だった柏崎刈羽原発が地震で全面停止。東電は、その他の発電所の出力を5%増やしたり、他の電力会社から融通を受けたりして補おうとしたが、追加で確保できたのは8月の平均で444万キロワットにとどまった。
 さらに、7月31日からの予定の検査を、国に先送りしてもらっていた福島第一原発3号機(78.4万キロワット)も、20日からは定期点検で止めざるをえない。このため、今週と来週の東電の供給力は6200万キロワット程度。お盆前の2週間は180万キロワット強だった供給余力が100万キロワットを切ってしまう。
 夏場の電力不足の大敵はなんと言っても冷房需要だ。東電の場合は経験的に、気温が30度を超えると1度あたり170万キロワットも電力需要が増える。さらに、気温の高い日が3日続くと3日目の電力需要は急伸し、1度あたり170万キロワットを上回って跳ね上がるという。企業がフル操業に戻る今週や来週の平日に酷暑が続けば、供給力を超える6400万キロワット近くまで上がると想定される。
 対策は二つ。一つは、料金を割り引く代わりに電力不足が起きそうな時は電気を止めてもらう「随時調整契約」を結んでいる相手に、実際に止めてもらうことだ。自家発電の設備を持つ企業など約1000件の顧客と東電はこの契約を結んでおり、120万キロワットの電力をカットできると推定される。発動すれば、バブル経済による電力需要増に発電設備の増強が間に合わなかった90年以来だ。
 もう一つは栃木県の塩原発電所(揚水式水力、90万キロワット)の稼働。川の水の不正利用に関するデータ改ざんで今春、国土交通省に水利権を取り消されたが、「緊急時かつ9月7日までに限る」という条件付きの水利権を取得させてもらった。揚水式水力発電は、ボタンを押せば数分後に最大出力を出せる。
 東電の勝俣恒久社長は「総力戦で安定供給を確保する」と述べる。しかし二つの対策をとっても足りない場合の方策についての言及はない。
 他電力では東北と西日本の中部、関西、中国、四国、九州から計166万キロワットの融通の約束を取りつけたが、西日本勢からのこれ以上の支援は難しい。周波数が違うため、周波数変換所の能力上、100万キロワットが限度だからだ。



2、災害弱者の名簿、厚労省「地域と共有を」 中越沖で教訓 朝日新聞
2007年08月20日06時05分
 新潟県中越沖地震で、お年寄りや障害者などの安否確認が迅速に行われなかったとして、厚生労働省が、災害時などに避難支援が必要な「要援護者」の名簿を民生委員などと共有できるような体制作りを全国の自治体に求める通知を出していたことが分かった。要援護者名簿をめぐっては、「個人情報保護」を理由に、各地で地域への提供を拒むケースが増えている。災害発生時の対応遅れなどに懸念が広まっていたことから、同省は条例の見直しなど積極的な取り組みを求めている。
 通知は今月10日付で都道府県や指定市などに送付。災害時に要援護者の情報を地域と共有することが重要だとして、民生委員に必要な情報を提供することなどを求めた。個人情報への配慮から情報提供をためらう自治体が広がっていることから、第三者提供できるよう条例の規定を改正する必要性にも踏み込んだ。
 要援護者の名簿の整備や、災害の際の安否確認、避難をスムーズに行うための「避難支援計画」づくりは、04年の豪雨災害を機に内閣府が翌年の指針で自治体側に求めていた。しかし、総務省の昨年3月の調査では、要援護者の避難支援計画を作成している市区町村は、「年度内に作成予定」を含めて8.8%にすぎなかった。
 今回、10人のお年寄りが亡くなった新潟県柏崎市も、約6000人分の名簿を3月にまとめていたが、支援計画は未完成で、町内会や民生委員との情報共有はしていなかった。個人情報保護の観点から問題がある、との意見が同市役所内で出たためで、市内に住む一人暮らしの高齢者2672人のうち、7月16日の地震発生から3日間で連絡が取れたのは2割強。全員の安否が確認できたのは21日午後だった。
 同市民生委員児童委員協議会の近藤俊郎会長は「互いに顔見知りの地域は問題がなかったが、都市化が進んだ地域の状況はつかみきれなかった」という。




3、刈羽村の避難所、20日閉鎖  新潟日報
 中越沖地震で開設された刈羽村の避難所は20日、介助が必要な高齢者らが入る福祉避難所を除いて閉鎖される。閉鎖を翌日に控えた19日は、仮設住宅に荷物を運び出す被災者の姿が見られた。生活再建に向けて一つの区切りを迎えたが、被災者は口々に「苦労はまだまだ続きそう」と厳しい表情を見せた。

 最も多い時期で6避難所に791人を数えた避難者は、同日現在で4避難所の32人にまで減った。
 同日午後4時ごろの刈羽村第2体育館。運び出した布団や衣類を軽トラックに積み込む被災者の姿があった。
 親類の手を借りて夫の政広さん(85)とともに“引っ越し”作業をした同村刈羽、無職佐藤キセさん(79)は、避難所暮らしを「食事や風呂を用意してもらってありがたかったが、暑いのが大変だった」と振り返った。
 新たな生活が始まることになるが、「仮設暮らしはいつまで続くのか…」と不安そうな表情を浮かべた。
 生涯学習センター「ラピカ」で荷造りをしていた70代女性は、仮設入居が決まり「ここから出られることは一つの区切り」とほっとした表情を浮かべる一方、独り暮らしであることから「(仮設入居期限の)2年後の先行きが見えない」と嘆く。
 高町地区集会場に避難していた同村正明寺、無職小黒武美さん(63)は「(避難生活では)多くの人々に助けてもらった」と涙を浮かべた。しかし、今後の話題になると一転厳しい表情に。「全壊した家屋の解体も手つかずのまま。自宅周辺の地盤も傷みがあるようだ」などと唇をかんだ。
 ラピカから修復した自宅に戻る同村十日市の60代女性は、仮設に入居する人たちに「これからの冬が大変」と気遣った。
 同村に隣接する柏崎市では19日現在、27カ所に371人が避難している。
【写真】20日の閉鎖を知らせる張り紙がされた避難所。数人のボランティアが最後の夕食を提供する準備をしていた=19日午後5時半すぎ、刈羽村第2体育館
2007年08月20日


4、柏崎で避難指示区域の地盤調査  新潟日報
 柏崎市は20日までに、中越沖地震による地盤被害のため避難勧告、指示を出した地域とその周辺宅地で地盤調査を始めた。砂地盤の液状化や盛り土造成地の地滑りのため、広範囲で被災した地域が対象。民有地を行政が調査するのは異例だが、「個人の力では対象が広すぎる」として実施する。
 調査は同市の山本、番神、西本町から西港町、西山町中央台の4地域とその周辺で行う。県データも活用し、市が地質や地下水の状況をボーリング調査。分析結果がまとまり次第住民説明会を開き、地下水の水抜き工法や地盤に支柱を打って地滑りを押さえるアンカー工法などの対策方法を提示する。
 ただし現行制度では民有地での復旧工事への公的支援はできず、同市と刈羽村、出雲崎町の3首長は国、県に支援を要望している。
 一方、同市と同様に液状化被害が多発した刈羽村は、「地盤調査の予定はない」としている。
新潟日報2007年8月20日

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石田ふたみ