『日々の映像』

2007年08月18日(土) 中越沖地震の記録 (38)

1、中越沖地震の被災地、復興へ歩む 罹災証明発行開始へ  朝日新聞 
2、中越沖地震の支援金申請、写真で可能に…罹災証明発行前に  読売新聞
3、新潟女将の会などが特産品安全性PR 首相も舌鼓  朝日新聞
4、中越沖地震:刈羽村の被害総額、208億5800万円に  毎日新聞
5、中越沖地震:市や村の職員、過労相次ぐ 医師派遣しケア 毎日新聞
6、「仕事ない」募る不安、原発停止が影響…中越沖地震1か月   読売新聞
7、被災地給水支援の護衛艦公開  新潟日報
8、柏崎市でり災証明発行始まる  新潟日報
9、避難所に取り残されて 新潟日報




1、中越沖地震の被災地、復興へ歩む 罹災証明発行開始へ  朝日新聞  
2007年08月17日00時32分

 発生から1カ月が過ぎた新潟県中越沖地震の被災地では、現在でも600人が避難所生活を強いられている。地震の傷は今も深いが、仮設住宅の入居が本格化し、被災地は復興へ向けて少しずつ歩み始めている。


「和也がいてくれるから、ばあちゃんもう少し長生きしていいかい」と千代さんは話しかけた=新潟県柏崎市上田尻で
避難所で輪になって体操をするお年寄り=柏崎市立第三中で
 今年6月、柏崎にUターン就職した前沢和也さん(28)は、7月の地震で自宅が全壊した。祖母の千代さん(75)が倉庫の下敷きになり、やっとの思いで助け出した。それから1カ月。千代さんは避難所で、和也さんと両親は、片づけをするため、倒壊を免れた自宅の蔵に寝泊まりした。

 お盆の墓参りで、がれきの残る自宅を訪れた千代さんは、和也さんの手をとり「もう少し長生きしていいかい」と話しかけた。16日には家族全員が仮設住宅に移った。自宅再建のめどはまだ立っていない。

 いまだ、約30人が避難生活をする柏崎市立第三中学。お年寄りの日課は、朝夕2回の体操だ。2畳分のマットに車座になり、保健師の指導で足の先から首まで30分ほどかけて体をほぐす。避難生活の長期化と、連日の猛暑で、外に出る機会も減った。

 「体操とご近所さんとのお話が励みになります」と小林トキさん(87)は話す。

 柏崎市では17日から、さまざまな被災者支援制度を使うために欠かせない「罹災(りさい)証明」の発行が始まり、生活再建へ向けた動きが本格化する。地震による休校で授業が遅れている小中学校では、早いところで22日から授業を再開する。



2、中越沖地震の支援金申請、写真で可能に…罹災証明発行前に  読売新聞
 内閣府は、罹災(りさい)証明の発行前でも、写真で住宅の被害状況がわかる場合は、被災者生活再建支援法に基づく支援金の概算支給申請を受け付けることを決めた。
 被災者生活再建支援制度の弾力的運用の一つ。新潟県中越沖地震の被災者支援に適用できるよう、すでに各都道府県に通知した。
 通知では、罹災証明書を受けるまでに日数がかかることを考慮。被災者の早期の生活再建を後押しするため、一見して住宅の倒壊がわかる写真があれば申請を受け付けるよう求めている。従来は、所得証明、本人確認のための住民票などと、罹災証明書を添付しなければ申請できなかった。
 同制度は、住宅が全壊または大規模半壊した世帯に、300万円を上限に生活必需品の購入費や被災住宅の解体・撤去などの支援金が支払われる。阪神大震災を教訓に制度化され、2004年に支援金が上乗せされるなど拡充された。
(2007年8月16日3時17分 読売新聞)



3、新潟女将の会などが特産品安全性PR 首相も舌鼓  朝日新聞
2007年08月16日19時13分
 新潟県中越沖地震の影響による風評被害を食い止めようと、同県観光協会の高橋正会長や新潟女将(おかみ)の会の飯田美紀子会長らが16日、首相官邸で安倍首相に地元特産品を手渡して安全性をPRした。首相はナスに舌鼓を打って「国民の皆さんに正しい情報を出したい」と応じた。
 同県内では、柏崎刈羽原発のトラブルによる風評被害で観光シーズンの9、10月の宿泊予約も例年の3割にとどまっているという。高橋会長が「さらにご尽力を」と要請し、飯田さんが地元特産のコシヒカリや十全ナス、日本酒を渡した。



4、中越沖地震:刈羽村の被害総額、208億5800万円に  毎日新聞
 新潟県中越沖地震で被災した刈羽村は16日、15日現在の被害総額が約208億5800万円に上り、04年10月の中越地震の被害額(112億8100万円)を大幅に上回った、と発表した。
 同村災害対策本部によると、被害額の最大は住宅関係の約123億円で、中越地震(約59億円)の2倍以上に達した。続いて、下水道27億3000万円▽河川12億6300万円▽村道3億4500万円−−などだった。【戸上文恵】
毎日新聞 2007年8月16日 19時08分



5、中越沖地震:市や村の職員、過労相次ぐ 医師派遣しケア 毎日新聞
 新潟県中越沖地震の対応に当たってきた刈羽村で、全職員87人のうち半数以上が「夜、眠りが浅い」などと体調不良を訴えていることが分かった。同様に被害が集中した柏崎市でも8人が体調不良を訴えており、今月下旬をめどに内科医の検診を始める予定だ。職員の中には自ら被災した人も多く、両市村は地震発生から1カ月が経過する中で職員の疲労が蓄積していることを重視。今後、長期の復興施策に当たるために職員のケアに乗り出す。【五十嵐和大】

 今回の地震で、同市で8人、同村で1人が体調不良を職場で自己申告した。このため、同村は今月6日〜9日、全職員を対象に保健師による健康相談を実施。半数以上が「イライラする」などと心理面での不調を訴えた。このうち、10人以上が「医師の診察が必要」という判断だった。

 一方、同市も自己申告した以外に体調を崩している職員がいる可能性があることから、県市町村職員共済組合を通じて内科医の派遣を要請することにした。

 同市によると地震発生時、職員1079人のうち、負傷者や休暇で旅行中だった人などを除き、約8割が1時間以内に登庁。県などの応援職員が到着する翌日まで、避難所での夜勤などを市職員だけで対応した。その後も、災害対策本部に詰めた職員の中には7月中、2日に1回のペースで泊り込む者もいた。また、水道、ガスの復旧工事に当たったガス水道局職員はほぼ全員が、今も休みが取れない状況が続いているという。

 一方、職員自身の被災では、先月16日の地震当日に同市19人、同村6人が何らかの負傷をした。この中には業務中のけがも含まれているという。大半は軽い打撲や転倒で業務に支障はなかったが、同市では倒壊した自宅の下敷きになるなどした3人が今も県内の長岡市などの病院に入院している。

 04年の中越地震では、発生約2カ月後に交通事故で亡くなった旧山古志村の男性職員(当時32歳)を、新潟県が復興業務による過労が原因の関連死と認定している。

 職員の健康相談を担当する同市の担当者は「復興までは息の長い取り組みが必要になる。中越地震では初動時に復旧対策に当たった職員が数カ月後に疲弊して長期休暇に追い込まれたケースもあった。今後も必要に応じて、他の自治体から職員の応援を仰ぎたい」と話している。

毎日新聞 2007年8月16日 15時00分



6、「仕事ない」募る不安、原発停止が影響…中越沖地震1か月   読売新聞
 新潟県中越沖地震から16日で1か月が過ぎた。柏崎市や刈羽村では復興が進む一方、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の運転再開のめどが立たないなど雇用不安が広がっている。
 県やハローワーク柏崎は、今月中にも緊急協議会を開き、対応を急ぐ考えだ。
 原発関連の従業員は、東電約1000人、協力企業は約4000人。このうち6割は柏崎市と刈羽村の住民だ。
 原発構内では震災後も協力企業の従業員約2200人が働くが、約150人の自宅待機者も出ている。東電側は「雇用不安は一時的」というが、ハローワークには「解雇されそうだ」などの相談が8件寄せられている。
 地震後、契約を打ち切られた協力企業の男性契約社員(41)は自宅が全壊し、母親と仮設住宅で暮らす。会社は、孫請けよりさらに下の“ひ孫請け”に当たる零細で、社長自身も仕事がなく、「バイトを探さなくてはならない」と嘆く。
 同村最大のショッピングセンター「PLANT―5刈羽店」(本社・福井県)は施設の一部が壊れたまま、営業を続ける。ただ、修理には新築するほどの費用がかかるといい、9月20日の閉店を決めた。166人いるパートは全員解雇される。自宅改築のローンを抱える女性(63)は「年齢の問題もあり、ほかに働く先はない」と頭を抱える。
 ハローワーク柏崎の特別相談窓口には15日現在、事業所から従業員の解雇などに関する相談が49件あり、労働者からも76件の相談が寄せられている。
(2007年8月17日3時3分 読売新聞)



7、被災地給水支援の護衛艦公開
 中越沖地震発生以降、柏崎市で入浴支援などを行ってきた海上自衛隊の護衛艦「みねゆき」が17日、停泊する柏崎港で同日夕の帰港を前に一般公開された。訪れた市民は「支援してくれてありがとう」と乗組員に感謝の言葉を掛けていた。

 同艦は震災当日から同港で支援活動を開始。給水をはじめ、港には仮設風呂も設置した。同艦など海上自衛隊は17日までに約5000トンの給水を行い、約9000人が仮設風呂を利用した。

 この日の公開は、同艦が所属する舞鶴港(京都府)へ帰港するのに合わせて行われた。市民1000人以上が甲板で護衛艦の装備を見学し、乗組員と記念撮影をするなどした。

 柏崎市城東のパート従業員、横田照子さん(62)は「仮設風呂を何度か利用させてもらった。お湯がいっぱいで皆さんにも親切にしてもらいありがたかったです。言葉を掛けるのは苦手なので、お辞儀をしてお礼をしました」と照れくさそうに話していた。
新潟日報2007年8月17日



8、柏崎市でり災証明発行始まる
 中越沖地震で住宅の約1割が半壊以上の被害を受けた柏崎市で17日、り災証明書の発行が始まった。同市学校町のソフィアセンターには、証明書を求める市民が大勢詰め掛け、結果を不服として再調査(内部調査)を求める人が相次いだ。

 証明書発行では、混雑を避けるために整理券を配布。1時間ごとに時間を区切って行われた。午前8時半の開場前には約100人が並び、午前10時すぎには午後2時からの受け付けとなる500番台の整理券が配られた。

 一方、再調査の相談窓口には、午前10時までに市民60人以上が訪れ、18日から始まる再調査を予約していた。午前5時半から並んだという同市曾地の主婦(60)は、避難所生活で体調を崩し、額に冷却剤をはった姿。「一部損壊といわれ、目の前が真っ暗になった。半壊以上になってほしい」と再調査に期待する。

 一部損壊の判定で仮設住宅入居を断られたという同市谷根の自営業男性(49)は「家の内部は壁が崩れて空が見える」。納得がいくまで市と話し合うとしていた。

 刈羽村でも同日、り災証明書の発行が始まったほか、長岡市、上越市、出雲崎町などでは随時発行している。
新潟日報2007年8月17日



9、避難所に取り残されて 新潟日報
 中越沖地震から1カ月がすぎ、柏崎市では仮設住宅への入居が急ピッチで進んでいる。17日は避難者が減ったことで10の避難所が閉鎖された。一方、自宅が被災したものの仮設住宅に入れない被災者は、「いつまで避難所にいればいいのか…」と不安を募らせている。

 約30人が避難所生活を送る同市新赤坂1の市立第三中学校。大半は8月末までに、番神地区の仮設住宅に入居する。

 しかし、村山百々さん(84)は入居基準となる罹(り)災証明が「半壊」以上でなかったため、今のところ入れない。「仮設ならば、2年の猶予があり、将来を考える時間が生まれる」との思惑が外れた。

 今後、仮設住宅への引っ越しが進むにつれ、避難所から人は減っていく。「一人になるかもしれない」「学校が再開したら、どうなるのか」。心配は尽きない。長男(54)は同日、市に被害状況の再調査を申し立てた。「ぜひ、仮設に入りたい」。心から願っている。

 比角コミュニティセンター(同市比角2)に身を寄せる吉野一郎さん(57)も事情は同じ。母(86)と一緒に仮設入居を心待ちにしていたが、「入れないと分かり、疲れが倍になった」とこぼす。

 大洲コミュニティセンター(同市赤坂)に避難する桐山ミチさん(72)は「あまり自宅の被害もなく、そろそろ避難所を出ようと思っていた」という。

 ところが16日、大規模な補修工事をしなければ住めないと損害保険業者に指摘された。「このままでも住めると思っていたので、仮設には申し込んでいなかった」。桐山さんは肩を落とした。

 市は避難所に残った人の要望や現状を把握するため、17日から聞き取り調査を始めた。山田信行・市民生活部長は「本当に困っている人については、一部損壊でも仮設に入れるよう配慮したい」と、弾力的に入居基準を運用する考えを示した。
新潟日報2007年8月17日

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石田ふたみ