『日々の映像』

2007年08月17日(金) 中越沖地震の記録 (37)

1、超音波探傷試験盛り込む方針 新潟日報
2、避難生活、住宅の再建が課題  新潟日報
3、中越沖地震から1カ月 けが回復し、孫と再び童謡歌えた  朝日新聞
4、潟県中越沖地震から1カ月 復興への道半ば  朝日新聞
5、中越沖地震の支援金申請、写真で可能に…罹災証明発行前に  毎日新聞
6、仮設住宅暮らし、4割が孤立へ不安…入居予定者へ読売調査


1、超音波探傷試験盛り込む方針 新潟日報
東京電力柏崎刈羽原発の高橋明男所長は15日、中越沖地震から1カ月となるのを前に同原発で記者会見し、同原発の詳細点検計画には、配管の超音波探傷試験や分解点検を盛り込む方針を示した。運転再開時期について「これから詳細点検していく段階。まだお答えできる時期にない」と語った。

 高橋所長は地震発生以降の反省点について「一番は何と言っても(3号機変圧器の)火災。原子炉の安全と直接かかわらなくてもみなさん心配されるわけで、広報活動を含めてしっかりケアしていけばよかった」と述べた。

 また、自宅待機となっている協力企業の作業員数が今月上旬の段階で約150人いるとした上で、16日以降に点検作業などが入るため8月末をめどに待機が解消されるとの見通しを示した。

 一方、東電は15日、6号機原子炉建屋のオペレーション(作業)フロアなど同原発の施設内を報道陣に公開した。

 6号機の作業フロアでは、担当者が破損した天井クレーンの点検状況などを説明。3号機の火災現場は変圧器が黒く焦げたままになっていたほか、地盤沈下によって変圧器土台を囲むコンクリートには亀裂が走っていた。

新潟日報2007年8月15日



2、避難生活、住宅の再建が課題  新潟日報
 中越沖地震から16日で1カ月。死者11人、負傷者は約2000人、家屋損壊は約3万8500棟に上った。柏崎市など被災地では仮設住宅への入居も始まり、応急対応から復旧・復興に重点が移りつつあるが、600人以上が依然として避難生活を継続。多くの被災者にとっては住宅再建が最大の課題となっている。

 県は柏崎市と刈羽村、出雲崎町で計1182戸の仮設住宅を建設しており、今月末にはすべて入居可能となる見通し。13日に柏崎市と出雲崎町で、15日には刈羽村で入居が始まった。16日には同市で第2陣となる17カ所計509戸で引っ越しが行われる。

 仮設に入居した被災者からは「家族水入らずで過ごせる」などの声が出ている一方、住宅再建については「資金のめどが全く付いていない」「高齢なのでお金を貸してもらえるのか心配」といった切実な訴えが相次いでいる。

 ライフラインは都市ガスが一部地域で未復旧。被災した東京電力柏崎刈羽原発の運転再開の見通しは全く立たない状況が続いている。

 中越沖地震では最大で約1万2500人が避難所生活を強いられた。泉田裕彦知事は地震発生から1カ月に当たり「被災者の生活再建に向けた差が生じる時期。『取り残され感』をなくすことは重要な課題だ。原子力発電との向き合い方も課題。力を合わせ『ふるさと再建』へ歩んでいきたい」とのコメントを発表した。
新潟日報2007年8月15日


3、中越沖地震から1カ月 けが回復し、孫と再び童謡歌えた  朝日新聞
2007年08月16日06時36分
 「ぽっぽっぽっ、ハトぽっぽ」。新潟県中越沖地震で、孫と遊んでいた時に落ちてきた瓦に頭を直撃された柏崎市西山町大津の上村重治さん(57)。数日間、死のふちをさまよった後、口ずさんだのは、最愛の孫といつもうたっていた童謡だった。家族の看護のかいもあって、1人で歩けるほどに回復。地震から約1カ月たった15日、入院先の病院でリハビリに励んだ。
 7月16日朝、重治さんと孫の芽瑠(める)ちゃん(2)は、自宅の庭にいた。砂場で遊ぶ芽瑠ちゃんを、重治さんは少し離れたところで眺めていた。
 突然、ドーンと地響きがした。築30年の2階建ての家がきしみを上げ、屋根の瓦が次々と落ちてきた。
 重治さんの妻の君子さん(58)が玄関から飛び出すと、立ったまま泣き叫ぶ芽瑠ちゃんのすぐ横で、重治さんが頭から血を流して倒れていた。
 上村家は4世代7人暮らし。山あいにある50戸の集落で、同居する長女の祥子さん(25)と宏明さん(26)夫妻は唯一の20代夫婦。過疎化が進む山村で、芽瑠ちゃんと萌愛(もあ)ちゃん(4カ月)の姉妹は宝のように大事にされている。瓦が落ちてくる中、芽瑠ちゃんを抱きかかえようとした重治さんに不運が襲ったと見られる。
 携帯電話からも家の電話からも、119番はつながらない。助けを求める家族の大声で駆けつけた近所の人の手を借り、血まみれの重治さんは後部シートを倒したワゴン車にそっと運ばれた。
 宏明さんの運転で、20キロ離れた長岡市の長岡赤十字病院に向かった。峠を越えるカーブで、体を支える君子さんに「痛い」とうめいたのを最後に重治さんの反応がなくなった。路面は地震で波打つ状態。宏明さんは玉のような汗をかきながらハンドルを握りしめた。
 病院には40分ほどで着いた。救急外来の医師は、頭から血を流す患者がワゴン車で運ばれてきたことにまず驚いた。頭蓋骨(ずがいこつ)に直径2センチほどのくぼみと、亀裂があった。血液が脳を圧迫し、医者は「助かるとも助からないとも言えない」と妻に告げた。
 3時間に及んだ手術は成功だった。手術後、重治さんはずっと眠り続けていたが、3日ほどたつと、問いかけに言葉を返すようになった。「ここは病院。いま何歳?」と君子さんが聞くと、答えは35歳だったり、45歳だったり。夜に大きな声で歌い出すことも。
 〈淡い初恋 消えた日は 雨がしとしと 降っていた〉
 森昌子さんの「せんせい」だ。重治さんは自宅にカラオケセットを持つほど歌好きで、この曲は15年以上前によく歌っていた曲だった。
 「汽車汽車シュッポ、シュッポ」「ハトぽっぽ」と口ずさむこともあった。地震の前、いろんな童謡を集めたCDをかけながら芽瑠ちゃんと歌っていた。四つんばいになった重治さんが汽車になり、芽瑠ちゃんが背中に乗る。手をつないで踊ることもよくあった。そんな夢でも見ていたのだろうか。
 地震から2週間後、重治さんの意識が戻り始めた。大部屋の病室に移ったその日、芽瑠ちゃんが訪ねてきた。「芽瑠ちゃん、おいで」と重治さんが手を伸ばすと、芽瑠ちゃんが左手をそっと差し出した。
 枕の上に、「じいちゃん ありがとう」のメッセージが飾られた。守ってくれようとした祖父のために、芽瑠ちゃんが母親の手助けを受けながらサインペンで書いた。重治さんの趣味のゲートボールの絵も描いた。
 そんな思いが通じてか、重治さんは3週間で自力で歩けるようになった。歩くと少しふらつくが、「周りが心配するほどじゃない」と強がるほど元気になった。
 ただ、重治さんには地震直前から2週間ほど後までの記憶がない。芽瑠ちゃんも、「地震」と聞いて首をかしげるほどの年ごろだ。
 「2人の命があることは奇跡だと思う」と話す君子さんは「この1カ月で命の大事さを家族でかみしめた。そのことを2人にもちゃんと伝えたい」。



4、潟県中越沖地震から1カ月 復興への道半ば  朝日新聞
2007年08月16日00時59分

 新潟県中越沖地震は16日、発生から1カ月を迎える。被災地では仮設住宅への入居が始まり、生活は落ち着きを取り戻しつつあるが、避難所48カ所で635人が暮らす。今回の地震による死者は11人。柏崎市は地震発生時刻の午前10時13分、防災行政無線を通じて犠牲者への追悼の祈りを呼びかける。



5、中越沖地震の支援金申請、写真で可能に…罹災証明発行前に  毎日新聞
 内閣府は、罹災(りさい)証明の発行前でも、写真で住宅の被害状況がわかる場合は、被災者生活再建支援法に基づく支援金の概算支給申請を受け付けることを決めた。
 被災者生活再建支援制度の弾力的運用の一つ。新潟県中越沖地震の被災者支援に適用できるよう、すでに各都道府県に通知した。
 通知では、罹災証明書を受けるまでに日数がかかることを考慮。被災者の早期の生活再建を後押しするため、一見して住宅の倒壊がわかる写真があれば申請を受け付けるよう求めている。従来は、所得証明、本人確認のための住民票などと、罹災証明書を添付しなければ申請できなかった。
 同制度は、住宅が全壊または大規模半壊した世帯に、300万円を上限に生活必需品の購入費や被災住宅の解体・撤去などの支援金が支払われる。阪神大震災を教訓に制度化され、2004年に支援金が上乗せされるなど拡充された。
(2007年8月16日3時17分 読売新聞)



6、仮設住宅暮らし、4割が孤立へ不安…入居予定者へ読売調査
新潟県中越沖地震は16日、発生から1か月を迎える。13日から入居が始まった仮設住宅は、今月末までに柏崎市、出雲崎町、刈羽村に計1182戸が建設される。読売新聞は柏崎市と刈羽村の仮設住宅に入居予定の100人に入居にあたっての不安や要望についてアンケートを行った。

 仮設住宅では、入居者の孤立感をどう防ぐかが課題だが、「地域とのつながりを維持できるか」との質問に、35人が「できる」、23人が「多少はできる」と回答。一方で、17人が「余りできない」、5人が「全くできない」、20人は「わからない」とし、不安を感じている人が4割強にのぼっていることがわかった。アンケートは10〜12日、面接実施した。
 アンケートで、地域とのつながりを「維持できる」とした人は、理由として「仮設住宅が自宅に近い」「避難所で一緒で、苦労を理解しあえる」などを挙げた。「できない」とした人は、「隣人が不明」「茶飲みつきあいができるか心配」などとし、仮設住宅での生活不安について、14人が「隣人関係」を挙げた。「隣同士の会話がなくなってしまうのではないか」(74歳男性)と話す人もいた。
 仮設住宅を巡っては、高齢者の「孤独死」が相次いだ1995年1月の阪神大震災を教訓に、2004年10月の中越地震、今年3月の能登半島地震ではもとの居住地区単位での入居を推進。今回も町内会を通じた聞き取りなどで地区ごとの入居に配慮した。しかし、中越、能登半島地震に比べて集中倒壊が少なかったことや、入居希望が便のよい市中心部に集中したため、必ずしも地域単位での仮設入居とはなっていない。
 柏崎市は入居者間の交流のため、20戸以上の仮設住宅に集会所や談話室を設置。20戸未満については、入居者を隣接する町内会へ加入させるよう、町内会への要請を始めた。
(2007年8月16日3時3分 読売新聞)

 < 過去  INDEX  未来 >


石田ふたみ