2005年05月30日(月) |
橋談合組織で都OBが甘い汁 |
役所の権限を利用して、代官が甘い汁を吸う・・これは江戸時代から続いた日本の伝統なのだろうか。テレビ・映画などで江戸時代の悪代官が描かれることがあるが、実際は多くの悪代官がいたとは思われない。江戸時代の官僚(武士)の精神的な支柱は武士道であり、志が高い官僚集団であったように思う。このことを立証するのが、江戸時代末期の武士たちが明治を作り上げた数々のドラマで推し量ることが出来る。
役所の権限を利用して、代官が甘い汁を吸う事例が頻発する・・これは戦後に多く惹起していることではないか。橋談合が報道されて、逮捕者が出ていたがここで記述する予定はなかった。しかし、この談合に都の元上級職員が関与している報道があったので、日々の社会の出来事としてこの映像に要点を記述することにした。「鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事で談合していたメーカーの一部が、東京都発注工事をめぐり、天下りした都職員OBが都側から入手した発注情報をもとに受注調整を有利に進めていたことが会社関係者の話で分かった」という。 要するに工事の発注部署などから再就職した都OBが、都の現役職員等から都の発注予定情報をいち早く入手するシステムを作っていたのだ。このシステムを利用して上級職員が独占禁止法違反で告発された幹事社の横河ブリッジや石川島播磨重工業など30社に計30人の都OBが天下りしていたのだ。ここまでは、国の官僚の天下りの事例で予備知識があった。驚いたのは天下りした都元職員には仕事はなく「お客さん」と呼ばれていたという。お客さんで1000万円もの報酬を受け取っている例があるというからまさに甘い汁である。小憎らしいのは、甘い汁を吸っても逮捕されることがないことだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 癒しの森658 2005年5月30日
野茂、200勝目前 渡米11年目
野茂が日米通算200勝の大記録達成よりひと足早く、新たな偉業を達成した。95年日本人メジャーのパイオニアとしてドジャースに入団してから11年目。登録日数が5月18日で、メジャー在籍丸10年の節目を迎えた。メジャーで10年活躍したことは、一流を意味する。野茂はこれで62歳からなら1800万円(16万5000ドル)の年金受給が確実となった。メジャー選手の誰もが夢みる「ステータス」をついに日本人メジャー選手が初めて手にしたのだ。
野茂はトルネード旋風を起こし、2度の無安打無得点試合の偉業を達成するなど輝かしい実績があるが、日本では華々しい報道が少ないような気がする。それらは、故障、不調から99年メッツで解雇されるなど袖を通したメジャーのユニホームは6球団目であることが理由の一つかもしれない。6球団目となった今年「ダメなら一からやり直せばいい。失うものは何もない」といっている。第三者が分からない野茂選手の人生・苦労が滲んでいるような言葉である。野茂の活躍を1997年の日々の映像に何回か書いた記憶が鮮明に残っている。野茂英雄選手のパイオニア精神に敬意を払う意味で、同氏のプロフィールを下段に記述した。(参考スポーツナビ)
・数々の 不調と故障を 乗り越えて メジャー10年 偉業目前
野茂英雄のプロフィール(参考スポーツナビ) 1968年8月31日生まれ・大阪府出身 身長188センチ、体重106キロ 右投げ、右打ち・ B型 89年のドラフト会議で当時史上最多の8球団から指名を受け、近鉄に入団。投げる際に体を大きくひねる独特の「トルネード投法」から繰り出される速球とキレのいいフォークで、1年目から活躍。MVP、新人王、最多勝、最優秀防御率、最優秀勝率、最多奪三振、沢村賞、ベストナインなど、タイトルを総ナメにする。
4年連続最多勝と最多奪三振を獲得するなど、日本球界ナンバーワン投手として5年間で78勝を記録。そして95年、アメリカに渡り、ドジャースに入団した。日本人2人目のメジャーリーガーとして先発ローテーションに入ると、1年目から13勝を記録。オールスターの先発を経験するなど、米国に「トルネード旋風」を巻き起こし、ナ・リーグ新人王と最多奪三振のタイトルを獲得した。2年目には、無安打無得点試合を達成。その後、メッツ、カブス、ブルワーズ、タイガース、レッドソックスと渡り歩いた。
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