『日々の映像』

2004年11月08日(月) 新潟中越地震:真優ちゃんの遺体を15日ぶりに収容

 真優ちゃんの遺体の収容は、新たな涙を誘った。新潟県災害対策本部は7日午後、長岡市妙見町の土砂崩れ現場のワゴン車内に取り残されていた皆川学さん(37)の長女真優ちゃん(3)の遺体を収容した。真優ちゃんは9月28日、車内で死亡が確認されたが、収容作業が難航していた。押しつぶされた車の中にたった一人残されていた真優ちゃん。「岩と土にはさまれた小さな足。すぐそこに見えるのに、救出作業は難航を極めた。『一刻も早く……』との願いのもと余震がやまない現場で命懸けの作業を続けた」(毎日から)

 最後は真優ちゃんを傷つけないよう、手で少しずつ土砂をかき出したという。泥の中から冷たくなった真優ちゃんを抱き上げると、機動隊員が体についた泥をぬぐったのだ 「午後3時23分、崩落事故から15日ぶりに真優ちゃんは搬出された。隊員たちはお金を出し合って持ってきたお菓子、ジュース、線香を供えて合掌した。現場に供えられた花束は、長岡市内の花店の女性店主(82)が「(天国で)お嫁に行けますように」と用意した」(11月7日・毎日から)という。3歳の女の子の死に全国の多くの人が涙したことだろう。

 報道陣から遺体の状態について尋ねられると、阿部副隊長は無念そうに、「勘弁して下さい」と繰り返すだけだったと言う。遺体の状態がどうであったかと、たずねるマスコミの感覚がおかしいと思う。長岡署での検視の結果、母親の貴子さん(39)同様、ほぼ即死だったようだ。真優ちゃんは変わり果てた姿で、家族が待つ魚沼市(旧小出町)の自宅へ無言の帰宅をした。妻と真優ちゃんを失った皆川学さんの心中の苦悩はいかばかりであろう。誰もが合掌せずにはいられない悲劇であった。
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癒しの森451                          2004年11月8日 

           盛会だったうどんの会(2)

 今日はうどんの会に参加した人たちの感想を中心に記述したい。
参加者のなかに町のロータリーの会長をしている人、高齢者福祉協会の事務局長をしている人、古希の会の代表の人がいた。皆何らかのイベントを企画しなければならない人たちだ。会が終了すると早速自分たちのイベントに、木村かおるさんに歌っていただけないだろうかとの話があった。どのようなイベントであれば歌っていただけるかとの質問があった。

 この日中国の新潟大学留学生が5名参加した。この人たちの喜びの表情は、実に印象的であった。参加者の中で日本語をマスターしていない留学生が2名いた。言葉が分からなくとも、木村かおるさんの心がメロデーに乗って、彼ら彼女たちに届いていた。音楽は、まさに国境のない世界の言葉である。参加者の一人、曲 博(きょく・はく)さんは北京大学の国際政治学で博士号を取っている人であった。この人の喜びに満ちた挨拶が印象的であった。

 元呉服商の野口さんは木村かおるさんの歌声に心から感激した一人であった。野口さんは和服を着こなしてお見えになった。本職であるあるから当然かもしれないが、70歳代になっても粋な立ち振る舞いであった。木村さんに対する感謝の意の表明、ユーモア、滲む誠意、スピーチの中では最も素晴らしい内容であった。
    
   ・歌声の 音色の中に 真心が 心に響く 世界の言葉
     


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石田ふたみ