『日々の映像』

2004年07月20日(火) 曽我さん、家族と帰国 

 一体北朝鮮は昭和30年以後何人拉致したのだろう。今までの行方不明者の数から言って相当数に上ることは確かだ。この内北朝鮮が拉致したと名前を明らかにしたのは15名であった。この内曽我さん、地村保志さん(49)、蓮池薫さん(46)両夫妻5名が1年9ヶ月前に帰国した。それからこの3組の子供たち及びジェンキンスら8名の帰国がどうにか終わった。しかし、1年9ヶ月前、拉致氏名が明らかとなって、それぞれ死亡したとされる横田めぐみさんほか9名の調査報告は、全くのゼロである。こんな誠意のない国家は無いと思う。

 内閣官房の拉致被害者・家族支援室によると、「病院側は曽我さんと娘二人がジェンキンス氏と一緒に過ごせるよう部屋を用意」してというから国賓並みの扱いである。 細田博之官房長官は「ジェンキンス氏が当面治療に専念できるよう必要な支援を行いたい」との見解を表明している。曽我さんの喜びと祈りの言葉を引用しよう。「今日家族4人でようやく日本へ帰ることができました。今は帰国できた喜びでいっぱいですが、夫が日本で健康で安心して暮らせること、娘たちが日本の生活に慣れて、希望を持って生活出来ることを祈るばかりです」

 マスコミの報道が曽我さん一家に向けられているが、もっと不明者10名のことも大きく報道をすべきだと思う。その他特定失そう者問題調査会が「拉致の疑いが濃厚」として公表されているのは16人である。この拉致の不明者10人と疑い濃厚な16人は、不明のままいたずらに年月を重ねていくのだろうか。政府は北朝鮮に対してもっと強く交渉すべきと思う。
 メモ  拉致が濃厚とされる16人の氏名
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癒しの森332                           2004年7月20日

             稲の成長のスピード

 5月31日に書いたように、早朝の散歩は5月24日からであった。歩き始めた動機は「癒しの森の行き詰まりを打破するため」であった。笑わないおばーちゃんとの出会い、これに関連してうにゃちゃんとの交信、草いきれ・露などの自然との出会いを書いてきた。朝の散歩がなかったら癒しの森は行き詰まっていたように思う。

 散歩に出発して10分余りの所は一面水田が広がっている。田植えは5月5日ごろで、散歩を初めた5月24日は、まだ稲の成長が分からない状態であった。6月の末頃には、分株もピークに達する勢いとなっていたが、まだ植えられた縦の線で見ると水田の下が見えた。そして、今日見たら何時こんなに大きく成長したのか高さは50センチ余りあり、いつ穂が伸びて来てもよい状態となっている。少し離れて見ると緑一色の絨毯が広がっており、瑞穂の国を彷彿させる風景である。盛夏とともに稲穂が出てきて、間もなく秋を迎える。稲穂の匂いが漂うのもあと僅かである。
      
 ・のどかなる 日本の風景 稲の波 大地を埋める 緑はてなし
     


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メモ 拉致が濃厚とされる16人
 特定失そう者問題調査会が「拉致の疑いが濃厚」として公表している16人は次の通り。(失跡年順、年齢は失跡当時、年は失跡年、都道府県は失跡時の住所)
▽水島慎一さん (18)=1968年、富山県
▽斉藤裕さん  (18)=1968年、北海道
▽今井裕さん  (18)=1969年、青森県
▽大屋敷正行さん(16)=1969年、東京都
▽加藤久美子さん(22)=1970年、福岡県
▽古川了子さん (18)=1973年、千葉県
▽高敬美ちゃん (6つ)=1973年、埼玉県
▽敬美ちゃんの弟剛ちゃん(3つ)=同
▽大沢孝司さん (27)=1974年、新潟県
▽国広富子さん (24)=1976年、山口県
▽新木章さん(  29)=1977年、埼玉県
▽松本京子さん (29)=1977年、鳥取県
▽金田竜光さん (26)=1979年、兵庫県
▽山本美保さん (20)=1984年、山梨県
▽秋田美輪さん (21)=1985年、兵庫県
▽佐々木悦子さん(27)=1991年、埼玉県
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石田ふたみ