『日々の映像』

2003年12月30日(火) イラン地震死者3万人に達する可能性 

 イラン南東部のケルマン州バムで起きた大地震では、死者が3万人に達する可能性があることが明らかになった。イラン内務省報道官によれば、これまでに確認された死者は「約2万2000人で、2万500人が埋葬された。」(12月29日・時事通信)
 
 なにしろ、日干しレンガで出来た民家がほとんど壊滅的に倒壊して、その下に埋まっているとみられる住民の救出作業が難航している。たとえ空気穴があったとしても72時間が生存の限界だとしており、救出活動は時間との戦いになっている。
 
 地震によって電気や電話、水道などのライフラインが壊滅状態になったうえ、「夜間には気温が氷点下まで下がる」(27日・毎日)という気象条件なのである。生き残った人たちは、路上のたき火で暖をとるという極限状態になっている。
 主要国が救援隊を送る体制となっているが、被害の大きさからすると焼け石に水のようだ。この国の軍隊はどのような活動をしているのだ。 日本政府は27日以下の援助を行うと決めた。
1、緊急無償資金協力として77万ドル(約8300万円)を送る。
2、医師や看護師ら5人からなる緊急援助隊医療チームも送った。
3、発電機、毛布、簡易水槽など総額2500万円相当の物資援助を行うことを決めた。
 被害の大きさからすると、上記の援助はほんの形だけとの印象だ。 政府は自衛隊の派遣を検討している。
 
 ブッシュ政権が「悪の枢軸」とみなしたのは、イラン、イラク、北朝鮮であった。また「テロ支援国」と断定したのは、イラン、イラク、リビヤ、シリヤ、北朝鮮、キューバの6か国であった。イランは中東の中心地域である。西にイラク・シリア、東にアフガニスタン・パキスタンが控えている。今回の地震被害状況を見ると、この中東地域の住居が実に貧弱であることが大きな被害を出す原因になっている。
     


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癒しの森131                           2003年12月30日
            野口英世記念館               

 12月20日〜21日次男の招待で妻と3人で猪苗代の温泉に行って来た。猪苗代に行くのであれば、野口記念館をじっくりと見学してこようと思い、事前の準備で電子辞書で野口英世(1876〜1928)を開いてみた。この人の記述が僅か、140文字の簡単な説明しかないのには驚いた。辞典を編集する学術界に日本の先人を顕彰する姿勢がないとの印象を持った。

 野口記念館の最大のものは、アメリカにいる野口英世宛に母親・シカが書いた手紙だだろう。平仮名の手紙であるが、胸が熱くなる何かを感じ「母なるもの」の強い思いに圧倒される。母シカさんに敬意をこめて、手紙の最後の部分を引用させていただく。
「 早く(帰って)来てください。
  早く(帰って)来てください。
  早く(帰って)来てください。
  早く(帰って)来てください。一生の頼みであります。
  西に向いては拝み、東に向いては拝んでおります。
  北に向いては拝んでおります。
  南に向いては拝んでおります。
  ついたちには塩断ちをしております。
  栄昌様についたちには、拝んでもらっています。
  何を忘れてもこれは忘れません。
  写真を鬼ると拝んでいます。
  早く(帰って)釆てください。
  この返事を待っています。獲ても眠れません。」
     





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石田ふたみ