『日々の映像』

1997年02月28日(金) 読書の意味

 我流の短歌を書き始めて多少の時間が経過した。毎日書き出してから2ヵ月となる。知人が「よくまあこんなに書けるものだなぁ」という。書いている本人は、仕事から帰って1時間余りの楽しい一時である。この友人の話に次のようなイメージをもった。

・文章は 書けば書くほど 書けるもの 書けぬは人の 書かざるものか

 ただ、文章は又は短歌を書くには、多少の読書と思索が必要だ。英国のB・リットン(1803〜1873)という作家が「目的のない読書は散歩であって学習でない」と言っている。私はさほど時間もないし、多くの本を読む暇もない。ただこれぞと思う随筆・本は何回も何回も読むことにしている。徹底して読み思索することが、作者の水準に一歩近づけるものと考えている。

・若者よ 読書の意味を 噛み締めよ 活字を通して 一歩近づく 

 2月13日朝日新聞で「潤いのある老後:ときめく心」と題するエッセイが掲載されていた。「老いても支えあう2人:輝く生命」と題して老人ホームで結婚したカップル5組のことが特集されていた。この特集に川柳作家の時実新子さんの「スキンシップの方法:性がなくとも智慧さまざま」と題する所感が掲載されていた。文章のテンポがすばらしい。自分の性のありのままの語らい、男女の性の理解の深さ、老人に対する優しい眼差しが感じられる素晴らしい一文であった。私はこの一文を切り抜き10回余り繰り返し読んだ。

・良きことを 素直に認める 心根が 感性磨く カギとならんか

 フランスの哲学者デカルト(1596〜1650)は、読書について次のように述べている。「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人と会話を交わすようなものである」と。デカルトの言葉を踏まえて、次の短歌で2月を締めくくる。

 ・良き書物 活字の中に 心あり 作者と交わす 今宵の一時




 < 過去  INDEX  未来 >


石田ふたみ