昨日の10日の早朝は出勤で空が闇から少しずつその黒い重さを消していこうとする瞬間を眺めながら橋へ続く坂道を歩いていた。 川の先には電灯の小さな光と山が朝日によって姿を現してくる。暗い空に対して朝焼けは血のような真っ赤な色になっている。 180度で広がる空を見上げる。大空の空間にはひとつの雲の形があった。 なんだか巨大な鳥のように見えてくる。おもしろいので、カメラを手に取った。一枚目を撮る。暗く写ったので、取り直したのは直後だったけど、代わり映えもしないのは当たり前だった。雲はもうみるみる分かれて形を変えていった。 2枚目の写真を後で見て見ると、右下のちょうど山の上になるけど、まるい球体がお月様か何かのようにして現れている。空気中の何かが反射でもしたのかな。みごとなオーブといっていいものか・・。寒い時に写真とると、こんなものが写ったりするかもしれない。2月の長崎でのランタン祭りの写真もそうだった。同じように連写をしたことも思い出す。・・たぶんそういう、現実的な現象だろう。
8日の日は母はたまたま ウイルスのせいだろうが胃腸炎をおこして、夜中から下痢と嘔吐で大変だったらしい。今は回復してきて大事には至っていない。
今日といえば2年前にやっとの思いで上京し、横浜で3人の兄弟姉妹がテーブルについて顔を合わせた日。 今になってやっと、自分はいかに子供じみた行動に甘んじていたかわかってきた。 非常識だと義理姉が言った言葉が正しかったんだと。 全くそのときは何を言われても、自分の気持ちだけを大事にすることしか思考回路はできていなかった。
あくまでも幼い、身勝手な思考回路で通してきたのだ。しかも自分は善だと信じて、押し付けがましい思いばかりだ。そして、わかったようなことばかりを言ってきた。
もう一人で背伸びして背負うのはきつい。というよりも、発展していかなかった結果に疲れた。 始めは横浜の兄たちがきっと暖かく受け入れてくれると思っていたから。それだけの価値のある生き方をしてきた人なのだから。
時間が無い。余裕がない。そんな理由づけなんて、おかしいと思う。愛情がないだけのこと。 もうきつい。 そっくりそのまま、弟が私へ放った言葉を返したい。 ここで簡単に へこたれるだけでいいのか・・。 なんとかすると、見栄を切った私。 義理姉の冷たい態度。筋を通したいって、世間体か。後ろ指さされないように。 人に恥ずかしくない行動を取りたいと言う強さか。
一から考え直さないといけない事柄がたくさんあって、そろそろしっかりしなとな。 机の位置をまた変えたら 何かこれまでの自分と違うものがある。思考がなんというか、開放されたというか。 忘れっぽさが強まっただけかもね。 人と関わりあいたかった。広がっていけたらいいと思った。そんなことを忘れかけてきた。 何もかも離れていく。 もう母と弟は対面したことだし、それをまた先へと進めようとした私のことを冷ややかに見ているような兄弟に悲しくなってくる。もう子供じゃないんだな。 母の前で子供として、揃う事ももう贅沢な夢か。 絡まってもつれた糸をきちんとほぐさない限りは、晴々と喜ぶようなことはないのかもしれない。 それは初めから判っていたことだけど、つい忘れていい気になっていた。一年前のあのうれしさに浮かれていた。
これからどうしよう。考える力を失いかけている。自分がまずしっかりすることだけだ。何も落ち込んでるヒマはないのだ。
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