3年前のことを思い出すと、毎日悩んでいたことがもう、少しぼやけて見える。 YouTube から穏やかな音楽を聴いているせいもあるのか、感動する心は感謝する心と同じようなものだなと感じながら、胸が切なくなって、少し涙が滲んでくるくらい。有り難くて、それは何に対してなのかはっきりしないようでもあるけれど、胸の奥から湧き上がってくるこの気持ちをここに書き留めておこうかと思う。 この気持ちがいつも 生きていく中での救いだったのだと気がつく。どんなに苦しいみじめさを味わおうともこの気持ちが心に訪れてきてくれたこと。これが全てなのかもしれない。 健康という恩寵を授けてくれて、体を自由に使わせてくれること。 感謝せずにいられようかと思う。
最近のこの食欲は何だろう。消化もいいので、食べすぎたという弊害を感じたりもしないし、空腹感と満腹感もそれほどないままに、入るだけ食べようとする。そして腸はすっきしている。 左手が力が入るようになってきた。手首と指の関節に失くしていた滑液が戻ってきたかのようだ。体の不思議が働いているかのようだ。 思えば4年前くらいがピークの間接の激痛だった。それまでも長い期間に、両手首、両肩関節と苦痛を抱えていた。慣れっこの毎日にもまだ、若さでどうにか乗り切ってきた。 やっぱりさすがに50才の声を聞く頃には仕事も支障がでるくらいに悪化するし、耐え切れないしで本気で病院へいった。 最初に選んだ病院では、頼りなくて大きなところへ変えたのが正解のようで、優しい女医さんに当たって、救われたと思う。優しい応対と勇気付ける言葉は薬とともに、体の激痛をウソのように止めてくれた。 あれから3年が過ぎだけれど、もうあの頃のような痛みが舞い戻ってくることはないままだ。 病気に伴うようにして、意識の変化と環境の変化もついてきた。家族の歴史の変化もだ。 それは劇的なものであることも同じく。
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