それほどの寒さにはまだ遠い感じの毎日で、季節らしい感傷もやってはこない。年取ったせいもあるのか、人恋しいメランコリーは感じる気力すらないといったほうがいいのかもしれない。仕事を変わってからは、嫌というほどに毎日が人との関わりで過ごすから、寂しいといっていられない気もする。有難すぎる事だなあ。 弟との関わりは進展しないものの、後退はさせないつもりなので、会いに行くまでのあの胸のつかえた苦しさからも開放されたという、私の歴史の中での新しいページなわけだ。 胸の奥のもどかしさや、やるせなさによって傷ついている時間はなくなった。 このことをまた弟へ伝えたい思いがしてきた。 いつかまとまってメールか手紙かドキュメントファイルかを作って送りたいと思いながらも、まだ集中できないで時間が過ぎる。 ただの日常の次元だけでは力がでないのだと、少し気がつく。新たに出会ったスピ系のサイトを読みながら今そう感じている。
今で言えば、たわいないけど、あの義信さんという患者さんがはっとするほどに父の面影にそっくりだから。今月になって転棟してきた80のおじいさま。名前を見るとどきっとするし。 意味ある偶然が現れたと感じるべきか。この今の私が悩んでいることをなぜかなぞるようにして起きる出来事。
プサン旅に始まった今月は あれよという間に半ばへと向かう。有り難いなとここでも思う。 来月のことはノストラダムス的に何事も起きずに生活時間は流れていくのだろうきっと。 きのうの夢・・水が、というか洪水を眺める怖い思いをした夢だったのを覚えている・・。 何を恐れているんだろう。本当の自分の姿がやっと分かりかけてきた事なのではないかな、もしかしたら。 無反省に自我を振りかざしていい気になって生きてきた事。だから、人との関係を一切築けなかったという、とんでもないことにやっと目が開かれて来たこと。周りの人たちが必死になって、教えようといつもしてきてくれたのに、逃げてばかり。今も同じことの繰り返し。一体いつまで、子供の気でいたいのか。 反省がないことを自分言動が示していることもにも少し怯えているかもしれない。
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