2012年04月21日(土) |
淀んではいけなかった |
机の引き出しを全部取り出して、中身をぶちまけて広げている。その真ん中に座ってものたちを一々手に取りどうするかを頭が考えるという作業、簡単な事、そこから派生してくる想像や想念が結構なエネルギーを消費するという事も分かっている。
だからいつも何気に躊躇しているんだということに気がつく。片づけをすることは深いこと。そういう意味で自分と向き合うエネルギーが生じる。断捨離が説くのはこの自分啓発メソッドであるということなのだと、そこでまた気がつく。
やり始めてそういう概念を心の片隅においておくとこれまでは片付けの苦痛面だけを記憶に残していたものが ちょっと楽しみや希望に変わろうとしているようでうれしくなった。
夜中になってもごみに仕分けする作業を厭わずにやって満足するという、人生で初めてに近いようなことやっている私。
そのせいもあってのことかな、眠っているときの夢は昔のことが出てきて、おたおたしているあの頃の仕事が思い出されていた。洋服を売りつける仕事だ。 心の中のごみも吐き出しているようだ。
そうしながら、知恵をつけていかないと。思考を鍛えていかないと。元をただせば、こんな片付けの作業ができないということが脳の働きの衰えと直に繋がっているようだ。
私の今現在の姿。 物事の理解力、判断力がどれだけ劣って、お粗末であるのかということを毎日、自分で嫌というほど、些細な出来事から見せ付けられているというのに、これ以上、もう誤魔化す事はできないと本気での自覚が迫られているといえる。 恐ろしい事だ。
早く、素直になっていくべきだった。 自分から目をそらす事ばかりに長けていた。そんな行動ばかりしてきた。 その付けを払う時か・・。
全ての事に感謝。 それは決して忘れたくない。
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