春にも慣れて来た。季節が進むのを見ている。時間は過ぎるのに心だけはどこかへ置き去りだ。
体が動きを鈍くし始めた中に甘んじていれば待っているのは退化。熟していく老化ならまだいい。そうではなく、働きを封じ込めて衰えていく神経なのだ。
まして、リューマチの鈍い痛みと腫れを持つ私にとって、リハビリのような手先の作業は人一倍必要だ。 なにか、どこかがおかしい。意地悪な人もそんなことを言ってきた。
確かにどこかが狂っているんだろうと思う。 過去に遡って自分のことを見つめてみたいと色んな節目で思うのだけど、すぐに嫌になる。 何度もどこででも同じことを繰り返しているのは 自分のことを良く分かろうとしていないからなんだということまでは分かる。
思うだけで実行しなければ何もならないということがここでも証明されるだけのことか。 父のことを見限るしかないと少し思い始めたりして、むなしい。親が子を愛するのは当たり前ではないらしい。
知りたくなかった現実を知るという恨みを心のどこかに隠して、すねてしまう癖。こころが人とは、繋がれない次元がある。そのことを低い次元のこととして、見下げて 突っ張って、気取ることで自分を慰める癖。
それでも何か社会の中で自分の基盤を持てたのなら、いいのだけれど、幻想だけで実際はあまりにも幼稚で無能ぶりに人はあきれて離れていく。
そして嫌われて、疎まれて、仕事から追い出される。そんなことを何度繰り返してきたことか。 どこか何かがおかしい私の生き方。
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