松井大輔に望むこと - 2003年09月17日(水) U−22の日本代表対韓国代表の試合を高田馬場のスポーツバーに友人と観に行った。スポーツバーで観戦するのはこれで2回目だ。 今回、日本はアウェー。レッドデビルズが埋め尽くすオリンピックスタジアムで日本イレブンの真価が問われた。そろそろ大久保の代表戦でのゴールが見てみたい。 日本はスタメン、フォーメンションをいじってきた。まず、2トップから1トップへ。DFの青木を那須に、MFに山瀬を入れた。果たしてこの戦略が吉と出るか、凶と出るか。 試合が始まった。大久保は最初からDFの裏を狙う動きに徹し、走りまくる。うまく中盤から大久保にパスがつながらないため、頼りの右サイドの石川にボールを託す。しかし、石川は思うようにサイド突破をすることができない。やはり、韓国は日本の攻撃パターンをよく研究していた。日本が中盤でボールを持ち、右サイドの石川に預け、石川が苦し紛れに真ん中に突破を図り、そこを韓国DFにカットされ、韓国のカウンターをくらう。このようなパターンがこの試合では繰り返された。 逆に日本は前半にゴール前の競り合いから2点を献上してしまう。2点とも日本DFがズタズタにされて取られた得点ではないが、取られるべくして取られたといった感じだった。 日本と韓国の差は歴然だった。 韓国は持ち前の強力な精神力と体力で「この試合に負けたら帰る場所はない」といった位の気持ちで日本ゴールに襲い掛かってきた。中盤の選手がうまくボールをため、サイドにタイミングよく散らし、センタリングを上げ、ゴール前に詰めた選手がシュートを放つ。中盤の選手がサイド攻撃が無理と判断した場合、自ら突破をはかったり、その場でキープし、相手DFを引き付け、臨機応変にパスを繰り出す。一方、日本は攻撃パターンの主軸である大久保と石川が封じられ、行き当たりばったりの攻撃を繰り返す。攻撃が封じられたのは韓国のプレスが速かったというのもあるが、後半に高松が投入されるまで、攻撃の意図というのが全く感じられなかった。 サッカーはある程度チームの攻撃パターンというものが決まっているが、最終的には選手のひらめき、創造性に任される。 僕が思うに、日本の中盤において、「こいつにボールを預けておけばなんとかしてくれる」といった絶対的な信頼を置ける選手がいないということが痛い。なかなか、そのような選手は現れるものではないが、96年アトランタ五輪でいう前園、00年シドニー五輪でいう中田英のような中盤の要の選手が今の五輪代表には必要だ。僕が高校3年の時に見た冬の選手権決勝戦・鹿児島実業対市立船橋。僕と同年代の松井大輔を見て、「自分たちの世代の日本サッカーは松井が支えるんだな」と感じさせられた。松井が五輪日本代表チームから絶対的な信頼を得る日が来ることを望んでいる。 サッカーは、自分たちの攻撃パターンが封じられてからが、本当の勝負である。松井の「ひらめきと創造性」が最大限に開花した日、五輪日本代表は強くなる。 -
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